赤穂四十七士(読み)あこうしじゅうしちし

旺文社日本史事典 三訂版 「赤穂四十七士」の解説

赤穂四十七士
あこうしじゅうしちし

1702(元禄15)年,高家 (こうけ) 筆頭吉良義央 (きらよしなか) 邸に討入り,旧赤穂藩主浅野長矩 (あさのながのり) の仇を討った家老大石良雄ら47人の浪士
義央と長矩の人物像,刃傷事件のいきさつ,討入りに至る経過などについては不明なところが多いが,武士らしい美挙として多くの賞賛をうけた。浪士の処分につき議論多出したが,翌年2月幕府は一同切腹を命じた。墓は東京都港区高輪の泉岳寺にある。

出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報

世界大百科事典(旧版)内の赤穂四十七士の言及

【赤穂浪士】より

…吉良邸に討ち入ったのは47人といわれるが,このとき切腹したのは46人である。彼らは世に赤穂浪士,赤穂四十七士または四十六士などと呼ばれており,この事件は全体として赤穂事件とよびならわされている。 赤穂浪士は死後,〈義人〉〈義士〉としてたたえられた。…

※「赤穂四十七士」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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