岩村藩(読み)いわむらはん

藩名・旧国名がわかる事典 「岩村藩」の解説

いわむらはん【岩村藩】

江戸時代美濃(みの)国恵那(えな)郡岩村(現、岐阜県恵那市岩村町)に藩庁をおいた譜代(ふだい)藩。藩校は知新館。関ヶ原の戦いの翌1601年(慶長(けいちょう)6)、徳川氏譜代の家臣松平(大給(おぎゅう))家乗(いえのり)が2万石で入り立藩した。子の乗寿(のりなが)のあと、38年(寛永(かんえい)15)に三河(みかわ)国伊保(いぼ)藩から丹羽氏信(にわうじのぶ)が2万石で入った。しかし、5代氏音(うじおと)のとき御家騒動が起き、1702年(元禄15)、越後(えちご)国高柳(たかやなぎ)藩へ減移封となった。代わって信濃(しなの)国小諸(こもろ)藩から松平乗寿の孫の松平乗紀(のりただ)が2万石で入り、以後明治維新まで松平(大給)氏7代が続いた。歴代藩主の多くが老中をはじめ幕府要職歴任、2代乗賢(のりかた)のとき1万石の加増を受け3万石となった。岩村藩は小藩だったが、文教藩として全国に名を馳せた。1702年に入封した乗紀は、美濃国では最初の藩校文武稽古所を創設、藩士子弟を教育した。のちに藩校は、論語の「温故而知新」から「知新館」と改められた。1871年(明治4)の廃藩置県により、岩村県を経て岐阜県に編入された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「岩村藩」の意味・わかりやすい解説

岩村藩
いわむらはん

美濃(みの)国恵那(えな)郡岩村(岐阜県恵那市岩村町)に置かれた譜代(ふだい)藩。恵那・土岐(とき)両郡で2万石、のち3万石となる。1601年(慶長6)松平家乗(いえのり)が入封し、乗寿(のりなが)と続いたあと、1638年(寛永15)丹羽氏信(にわうじのぶ)が藩主となる。氏音(うじおと)の代に家中騒動が起き、1702年(元禄15)幕府の裁許で氏音が処罰された。かわって乗寿の孫の石川(のち松平)乗紀(のりただ)が入り、以後代々襲封。乗美(のりよし)のとき陶器の専売、国産奨励などの藩政改革に着手するが、1837年(天保8)領民の家老宅襲撃などの反対運動で失敗した。藩校智新館は元禄(げんろく)年間(1688~1704)に設置された。1871年(明治4)廃藩、岩村県を経て岐阜県に編入。

[渡辺和敏]

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デジタル大辞泉プラス 「岩村藩」の解説

岩村藩

美濃国、岩村(現:岐阜県恵那市)を本拠地とした譜代藩。1601年、松平(大給(おぎゅう))家乗が2万石で入封。丹羽氏が治めた時代もあるが、元禄年間に松平乗紀が信濃国から転封してからは松平(大給)氏が7代続き、明治維新を迎えた。

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世界大百科事典(旧版)内の岩村藩の言及

【岩村[町]】より

…江戸時代は松平氏,丹羽氏と城主は変遷したが,1702年(元禄15)以降,松平氏2万石(のち3万石)の城下町として発展した。岩村藩は学問に力を注ぎ,林述斎,佐藤一斎などの儒者を生んだ。現在は農業と製糸・製材業が行われ,冬季には寒冷な気候を利用して寒天が製造される。…

※「岩村藩」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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