翻訳|Anne
イギリスのスチュアート朝最後の女王。在位1702-14年。名誉革命でオランダから来英し王位についたウィリアム3世が1702年に没したあとをうけて即位。ウィリアム3世の共同統治者であったメアリー2世の妹で,名誉革命に際してフランスに亡命したジェームズ2世の末娘。国教徒として育てられ,1683年にデンマークの王子と結婚していた彼女は,名誉革命では父ジェームズ2世にくみせず,姉婿ウィリアムの側についたが,姉メアリー女王との仲はよくなかったといわれる。
強硬なトーリー主義者として知られていたが,折から継続中のスペイン継承戦争で,総司令官マールバラ公の大活躍によってイギリス軍が連戦連勝の勢いとなり,とくに1704年ブレンハイムで大勝したため,主戦論のホイッグ派の人気が急速に高まり,不本意な政治を強いられた。しかし,戦争が長びくと厭戦気分が強まり,ようやく10年に至ってトーリー派が議会で多数を占めると,女王はこれをうけて純粋のトーリー派内閣を組閣,貴族院のホイッグ派を抑えるべく新たに12名のトーリー派貴族を創出した。この策略はイギリス王権によって以後しばしば用いられ,庶民院の貴族院に対する優位がこのときから確立することになった。トーリー政権が安定すると,11年,庶民院議員への立候補者の財産資格を厳しくし,年地代収入が州選挙区で600ポンド,都市選挙区で300ポンドとしたり,非国教徒の抑圧をはかったりした。
しかし,女王の治世で最大の事件は1707年のスコットランド併合であった。1603年にジェームズ6世がイングランド王位を兼ねて以来,イングランドといわゆる同君連合を形成していたスコットランドでは,名誉革命でジェームズ2世が追放されたことに不満が強く,89年にはウィリアム3世への反乱さえ起こったが,結局鎮圧され,女王の即位とともに両国議会が合同に同意,スコットランドは貴族院議席16,庶民院議席45を割り当てられ,1707年グレート・ブリテン連合王国(たんにグレート・ブリテンとよぶことが多い)が成立した。女王はまた,教会の十分の一税と王室収入の一部を〈アン女王の贈物〉として貧民救済にあてるなどして大衆の人気を博した。さらに文化史的には,女王の時代はコーヒー・ハウス(喫茶店)に象徴されるような近世市民の生活文化が花開いた時代である。英文学史でいえば,スウィフト,デフォー,ポープなどが活躍し,古代の黄金時代になぞらえて〈オーガスタンAugustan時代〉とよばれる一画期をなした。対外関係からいっても,この時代はスペイン継承戦争に勝利したことで,対外発展が本格化しはじめた時代にあたっている。すなわち1713年のユトレヒト条約では,ジブラルタルとメノルカ島を獲得して地中海の入口をおさえ,北アメリカのニューファンドランドやハドソン湾地方,ノバ・スコシアをも獲得した。
執筆者:川北 稔
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
1665~1714(在位1702~14)
ステュアート朝最後のイングランド女王。ジェームズ2世の末娘。姉メアリ2世とともにプロテスタントの教育を受け,デンマーク王子と結婚。名誉革命では姉の側につき,権利の章典により王位継承者とされる。その治世にはスペイン継承戦争における勝利,同君連合の関係にあったスコットランドとの合同によるグレート・ブリテン王国の成立(1707年)などがある。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…イギリス(連合王国)の一地方で,グレート・ブリテン島の北部を占める地域。主都エジンバラ。ローマ時代にはケルト語で〈森林〉を意味する〈カレドニアCaledonia〉と呼ばれたが,アイルランドからのスコット人の移住にともない,11世紀には〈スコシアScotia〉の名称が与えられ,現在の地名の語源となった。北をノルウェー海,東を北海,西を大西洋とノース海峡に囲まれ,南はソルウェー湾,リデル川,チェビオット丘陵,トウィード川を結ぶ境界線によってイングランドと接している。…
…小本は美濃判の半截であるから,芥子本は美濃判の512分の1ということになる。 西洋で早い例としては,イギリスのアン女王(18世紀)は人形の家に200冊の豆本を並べていた。このころすでにクルミの殻に収まる聖書が印刷されている。…
※「アン女王」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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