日本歴史地名大系 「赤迫村」の解説 赤迫村あかさこむら 大分県:大野郡野津町赤迫村[現在地名]野津町都原(みやこばる) 赤迫日当(ひなた)村の北東、南西流する都松(みやこまつ)川の北岸にある。臼杵(うすき)・岡(おか)城路が北東から南西へ通る。文禄二年(一五九三)の野津院検地帳写(渡辺家文書)には赤迫村分が含まれ、村位は下、田九〇石余・畑屋敷五三石余。慶長一一年(一六〇六)の惣御高頭御帳に村名がみえ、高一四四石余。香野村組に属した。正保二年(一六四五)の稲葉能登守知行高付帳によれば田方九〇石余・畑方五三石余。 赤迫村あかさこむら 大分県:中津市赤迫村[現在地名]中津市赤迫犬丸(いぬまる)川下流部西岸の小村で、東は犬丸川、西は諸田(もろた)村、北は今津(いまづ)村。小倉藩元和人畜改帳では今津村に含まれていたと思われる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報