国指定史跡ガイド 「赤阪城跡」の解説
あかさかじょうあと【赤阪城跡】
大阪府南河内郡千早赤阪村森屋にある城跡。金剛山山塊から派生した丘陵の一端、標高約150mの甲取(かぶとり)山に所在。楠木正成(くすのきまさしげ)が討幕の最初の本拠地として築いた山城であることから、建武中興600年を記念して、1934年(昭和9)に国の史跡に指定された。この城は、1331年(元弘1)、楠木正成が後醍醐(ごだいご)天皇を迎えようとして急造したうえ、鎌倉幕府勢が攻め寄せてきたため落城。正成は護良親王(もりよししんのう)らとともに金剛山中に隠れ、翌年再起して城を奪還するが、1年後再び落城。建武中興となり、鎌倉幕府は滅亡したが、南北朝の争乱となり、正成が湊川(みなとがわ)で戦死した後、1360年(延文5・正平15)、足利勢に攻められ城は捨てられたとされる。現在は開墾などにより原形は壊れているが、階段状に本丸、二の丸、三の丸の跡をうかがうことができる。河内平野から攻められた場合の第一関門の役割を果たした城であり、上赤阪城跡(楠木城跡)と区別するため下赤阪城跡とも呼ばれる。近畿日本鉄道長野線富田林駅から金剛バス「千早赤阪中学校前」下車、徒歩すぐ。