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建武中興 けんむのちゅうこう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

建武中興
けんむのちゅうこう

「建武の新政」ともいう。元弘3=正慶2 (1333) 年,鎌倉幕府を滅ぼして,建武1 (34) 年,後醍醐天皇のもとに実現された天皇親政の復活。承久の乱後,鎌倉幕府は,強大となり,ついには皇位継承など朝廷に干渉するにいたったが,これに対して朝廷側はつとにその打倒につき意図するところがあった。後醍醐天皇は,文保2 (1318) 年,践祚し,元亨1 (21) 年,院政を廃し,記録所を復活して天皇親政を実現するとともに,倒幕を実現すべく企図し,これを進めたが,正中1 (24) 年にはこれに失敗し (→正中の変 ) ,さらに元弘1=元徳3 (31) 年,再度発覚して (→元弘の乱 ) 天皇は隠岐に遷幸するにいたった。しかし,翌年,皇子護良親王楠木正成らの挙兵に伴って倒幕運動の展開をみるにいたり,元弘3=正慶2年,天皇は隠岐を脱出して名和長年に迎えられ,船上山に拠った。かくて足利尊氏が京都に六波羅探題を討ち,新田義貞が鎌倉を陥れるにいたり,ここに鎌倉幕府は滅亡した。天皇は,同年6月,京都に還幸し,ただちに光厳院を廃し,院政ならびに関白を廃して延喜・天暦の治を理想とし,天皇親政の政権を樹立した。論功行賞を行い,記録所を復活し,雑訴決断所武者所を設け,地方行政の刷新のため国司,守護を併立させた。翌建武1 (34) 年正月,建武と改元し,ここに建武中興が成るにいたった。しかし政治の急激な変革は,武家階級の不満を惹起した。同2年,中先代の乱を発端として足利尊氏がそむき,ついに中興政府は崩壊するにいたった。

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