越久村
おつきゆうむら
[現在地名]須賀川市越久
牛袋村の北西、滑川と釈迦堂川に挟まれた丘陵に立地。主集落は館岩山の南斜面にあり、滑川支流岩根川の氾濫原に面する。村名は「おぎゅう」ともよび、小さな谷頭を意味する(須賀川市史)。須賀川宿から当村端郷の土橋に至り、主集落を経て仁井田村へ、西の袋田村から長沼宿(現長沼町)への道が分岐する。伊達輝宗日記(伊達家文書)天正二年(一五七四)二月七日条に「越久ニ今二日より在馬との事」、同年三月二七日条に「越久へとりつき、合戦候て」とみえ、二階堂輝行は会津に援兵を頼み、三月に田村清顕と当地で戦ったが、おの浦・大つき・保土原など属将が討死、敗北している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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