長沼宿(読み)ながぬましゆく

日本歴史地名大系 「長沼宿」の解説

長沼宿
ながぬましゆく

[現在地名]長沼町長沼

白河街道上の伝馬継立宿。白河と会津を結ぶ道はいくつかあったが、天正一四年(一五八六)勢至堂せいしどう峠が開かれ、同一八年豊臣秀吉の命で会津への道が整備され、翌一九年蒲生氏郷が陶工吉左衛門(楽常慶)を会津に下向させた際当宿に伝馬二疋の出役を命じている(「町野長門伝符状」楽美術館蔵)。本格的に整備されるのは江戸初期で、寛永二〇年(一六四三)までには長沼・勢至堂両宿を通過する公儀蝋荷と諸大名に供する人馬(宿役は人足一五・馬一五、その他の人馬)往還の道・橋の普請は長沼領三万石(もと白河藩領が慶安二年幕府領となった地)の村々で負担する制度が確立していた(同年「覚書」福島県史)


長沼宿
ながぬましゆく

[現在地名]長野市長沼 大町

長沼上ながぬまかん町にあり、北国脇往還の馬継場。神代かじろ宿(現上水内かみみのち豊野とよの町)と高井郡福島ふくじま宿の中間にある。神代まで一里八町、福島まで一里余。

慶長一六年(一六一一)九月三日、松城城主松平忠輝から長沼あての伝馬宿書出(西島文書)が出されて、伝馬宿に定められた。正徳元年(一七一一)道中奉行から出た覚書に「信州長沼上町常ニハ馬継場ニ而無之候ヘ共、犀川満水之時、松城通致し、福島より長沼上町ニて人馬継立、牟礼継送候」と記し、更に「ケ様之節も御用荷物、其外先触有之類者、近辺御料々より寄人馬を以、手支無之候」とあるように、さい川が満水で、市村いちむら渡(丹波島たんばじま渡)が人留めとなった時、屋代やしろ松代まつしろ川田かわだ・福島経由で長沼宿を通った(「長沼上町宿史料」西島文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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