足洗潟
あしあらいがた
明神浜の東に位置。潟の北方を浜往来が東西に通り、近世には潟の西に練合村、南に針山新村(射水郡)、東は針山後新村などが位置した。中世の放生津潟は現在よりもかなり東方に広がっていたが、近世初頭から新開が進められ、近世中頃放生津潟の東方に残された所が足洗潟になった。潟の規模は、文化一二年(一八一五)には東西二二〇間・南北八三間(「足洗潟絵図」高樹文庫)、文政二年(一八一九)頃の形は長方形で南北一町半・東西四町半であった(三州測量図籍)。堀切が射水郡と婦負郡の境をなし、東から牛ヶ首用水捨江、南から西川などが注いだ。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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