練合村(読み)ねりやむら

日本歴史地名大系 「練合村」の解説

練合村
ねりやむら

[現在地名]新湊市海老江練合えびえねりや有磯ありそ

足洗あしあらい潟の西辺に位置し、浜往来に沿う。西は海老江村。もとは射水いみず郡に属したが、寛永一六年(一六三九)富山藩領となるに伴い婦負ねい郡に属した。正保四年(一六四七)の「越中道記」では、打出うちいで(現富山市)から当村まで二四町(道幅二間)。文明一八年(一四八六)六月、聖護院道興は当地に至り、「ねりあひといへるさとに、野人とも物語しけるを見て、ある同行にされことうたを」として「足よハき老のちからにともなひておきなもこゝにねりあひの里」と詠んだ(廻国雑記)。延徳三年(一四九一)三月には冷泉為広が海老江から「ネリヤヒ」に入り、「此所ニゴフク山トテアリ、アラヤヨリネリアヒノ間ニ順礼観音三十三所クハンシヤウ申」と注記している(越後下向日記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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