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足立康 あだち こう

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

足立康 あだち-こう

1898-1941 昭和時代前期の建築史家。
明治31年7月10日生まれ。昭和12年建築史研究会を創立,14年より「建築史」を刊行。法隆寺新非再建論者として喜田貞吉(きた-さだきち)らと論争した。昭和16年12月29日死去。44歳。神奈川県出身。東京帝大卒。著作に「薬師寺伽藍(がらん)の研究」「日本彫刻史の研究」など。

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世界大百科事典内の足立康の言及

【藤原宮】より

…賀茂真淵は《万葉考》の中で,現在の高殿町小字大宮に残る土壇(大宮殿)を宮跡とした。この説は明治以降,足立康らによって継承された。これに対して喜田貞吉は,現在の橿原市四分町にある鷺巣神社の北方で,醍醐町の長谷田土壇の地を宮跡の地とし,大論争が展開された。…

【法隆寺再建非再建論争】より

…その後南大門の東にある若草伽藍の塔心礎が注目されるようになり,喜田も関野も天智9年焼亡の寺は若草(わかくさ)伽藍と考えるようになったが,喜田が若草伽藍の焼亡,西院伽藍の再建と考えたのに対して,関野は両伽藍が推古朝から併存したと考えた。39年足立康(1898‐1941)が関野と同様の二寺併存による非再建説を唱え,第2次論争がおこるが,同年12月石田茂作(1894‐1977)による若草伽藍の発掘と45年以来の金堂と塔の解体修理によって明らかになった新事実によって,論争は決着をみた。すなわち,(1)若草伽藍と西院伽藍の中心線の方向が16゜違うので,両者は併存しない。…

※「足立康」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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