日本歴史地名大系 「藤原宮跡」の解説
藤原宮跡
ふじわらきゆうあと
持統・文武・元明三天皇の皇居。大和三山に囲まれた飛鳥川右岸にある。現在、藤原宮跡と推定されているのは、現
「続日本紀」大宝二年(七〇二)三月条に再び新宮が営まれたような記事があり、その頃東西の市が立てられ(帝王編年記)、「続日本紀」和銅元年(七〇八)八月条に左右京職の設置があることなどから、宮の改築や京の拡張が行われたのではないかという説がある。宮殿の構造は「日本書紀」「続日本紀」などによれば、内裏・内殿・大安殿・東安殿・西殿・新宮正殿や大極殿・正門・朝堂・東楼・西楼など、また海犬養門の名がみえるところから、いわゆる宮城一二門の存在も推察できる。
和銅三年の平城遷都後は、左大臣石上朝臣麻呂が藤原宮の留守官となったが、「扶桑略記」はこの宮は翌四年には
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報