中京区姉小路通東洞院西入
町のほぼ中央を東西に姉小路通(旧姉小路)が通り、西側を烏丸通(旧烏丸小路)が南北に通る。
平安京の条坊では、北側が左京三条三坊三保一四町南、南側が同一三町北にあたる。平安中期以降は姉小路東洞院大路の西。
平安後期以降、当町南半は東三条内裏の地にあたる(百錬抄)。「師守記」貞和四年(一三四八)四月一六日条に「今日入道修理大夫高経朝臣三条東洞院宿所上棟也云々」とあり、室町時代初期にはこの近辺に斯波高経の屋敷があった。
町名は、寛永一四年(一六三七)洛中絵図に、「車屋丁」とあり、その後変化はない。