車湯
くるまゆ
[現在地名]鳴子町 車湯
滝ノ湯と東方大口の赤湯とのほぼ中ほどにあり、江合川に臨む。明治二四年(一八九一)仙台の漢学者岡千仞の記した「車湯記」によると、天明二年(一七八二)鳴子村末沢屋敷の与右衛門が発見、地主忠蔵より買取り、地名を冠し鵜淵湯と名付けた。文化年中(一八〇四―一八)浴室の傍らに水車を設け、湯を汲上げ滝のように落下させたところ評判となり、車湯と称されるようになり、留飲・脚気・痛風に効能があるとして知られた。寛政一〇年(一七九八)には運上が従来の二五〇文から丸銭一貫文に増額された。「浴陸奥温泉記」には「漸ク山下ヲ下レバ、車ノ湯アリ。水車ノ側ニ湯槽アレバ名ツケシナルベシ。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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