日本歴史地名大系 「玉造郡」の解説
玉造郡
たまつくりぐん
県の北西端に位置する。郡域は北西から南東に細長く、一部を除き郡域を貫流する北上川支流
「続日本紀」神亀五年(七二八)四月一一日条に「玉作軍団」とあり、郡名としては神護景雲三年(七六九)三月一三日条に「玉造郡人外正七位上吉弥侯部念丸等七人」とみえ「下毛野俯見公」を賜姓している。「和名抄」国郡部(東急本)では「太万豆久里」と訓じ、異訓はない。古くは「玉造部」が集住していたとも考えられるが明証する遺構・史料は発見されていない。なお西端に位置する禿岳は
〔原始〕
考古遺跡は全般にわたって江合川流域の段丘上、ならびに北西から大崎平野に向かって突出する玉造丘陵上および丘陵端部に集中して分布する。旧石器時代では、岩出山町内の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報