翻訳|beriberi
昔から難病とされ、藤原定家の持病であったことは有名。江戸時代、享保年間(一七一六‐三六)に江戸で大流行し、箱根山を越えると治るとされたところから「江戸わずらい」と呼ばれたりした。
ビタミンB1の欠乏によって起こる栄養障害性の病気。ビタミンB1は酵母,穀類の胚芽,もやし,豆類に多量に含まれているので,日本人の標準的な食事をとっているかぎり,B1欠乏になることは少ない。しかし,精米して胚芽をとり除いた白米にはB1はほとんど含まれていないので,白米ばかり食べているとB1欠乏となる可能性がある。江戸時代の中ごろから白米食の習慣が普及したため,脚気の病因がつきとめられ,その対策がとられるようになる大正時代ころまでは,脚気は日本全国において多発し,毎年2万人以上が脚気のために死亡したという。昭和になってからは脚気とビタミンB1との関係についての知識が一般にも普及し,胚芽米,七分づき米,強化米(B1添加米)などが奨励されて脚気は激減し,それによる死亡例などはほとんどみられなくなった。ところが1973年以降,高校生(男子に多い)を中心に脚気と思われる症例の多発が気づかれ,学会に報告されて問題となっている。多発の理由としては,(1)白米食の普及,(2)即席食品,加工食品,保存食品の増加,(3)清涼飲料水,菓子類などからの糖質の多量摂取,(4)偏食によるB1摂取量不足,(5)激しい運動,発汗,などがあげられている。
ビタミンB1欠乏症の症状としては,(1)手足のしびれ感,知覚異常,下肢の重感,全身倦怠感,足のつま先が上がらなくなり,つまずいて転びやすい,運動麻痺のための歩行困難などの神経症状,(2)心悸亢進,息切れ,胸部圧迫感,低血圧,とくに最低血圧の低下,下肢や顔面の浮腫(むくみ),頻脈などの循環器症状,(3)食欲不振,胃部膨満感,吐き気などの消化器症状などがみられる。とくに循環器症状は俗に〈心臓脚気〉と呼ばれているが,ひどくなると心臓に肥大が起こり(右心肥大),心音は心尖部で第1音が不純となり,肺動脈弁口での第2音が亢進するようになる。心臓の肥大が顕著になり脈拍数が著しく増加するようになると,身体運動がわずか増加しても,それに対応して心臓の拍出量を増すことができず,急に胸苦しくなり急性心力衰弱の状態すなわち〈脚気衝心〉と呼ばれる状態となり,死亡することがある。ビタミンB1不足の母親の母乳中のB1濃度は著しく低いので,その母乳で栄養をうけた乳児がB1欠乏症となることがある。これは〈乳児脚気〉と呼ばれるもので,乳児は不機嫌で,顔色が悪く,食欲不良,吐乳がみられ,緑色粘液便がつづく。周囲への関心が少なくなり,顔つきもぼんやりとし,反回神経麻痺によって嗄声(させい)(声がしわがれる)あるいは声が出なくなることがある。
ビタミンB1の1日の所要量は乳児0.2~0.4mg,幼児0.4~0.6mg,学童0.6~0.9mgとされているが,最近の国民栄養調査の結果からみても,食事によるB1摂取量は所要量に達しないこともあり,幼児,学童の偏食の傾向から,ビタミンB1の潜在性の欠乏状態は意外に多いという指摘もされている。
執筆者:藪田 敬次郎
この病気は中国では前200年ころにさかのぼり,脚気の名称で記録され,日本では9世紀ころから麻痺型と水腫型とが知られていた。17世紀にオランダの医者がこの病気をインドで発見し,それをベリベリberiberiと呼んだ。西半球では脚気はかなり後になって観察され,ヨーロッパでは栄養障害の病気としてはビタミンC欠乏症である壊血病が広く知られていた。
脚気は江戸時代の元禄~享保年間(17世紀末~18世紀初め)に江戸で大流行した。この年代は日本人の米食がそれまでの玄米または半つき米から精白度の高い白米に移行した時期と一致している。また寛政年間(1789-1801)には京都,文化年間(1804-18)には大坂で流行した記録がみられ,〈江戸煩い〉あるいは〈大坂腫れ〉などと呼ばれた。明治になると都市人口の激増や貧困層の増大につれ,食生活の低下とくに青年層における栄養の相対的低下が著しくなり,脚気の急増を招くことになった。とくに明治政府の富国強兵策による軍隊の増強とともに,脚気は兵営に急速に増加し,明治初年には陸軍で兵士の5分の1から3分の1がこれを発症し,日清・日露の戦時には前線将兵のほぼ4分の1が脚気となり,それは総傷病者数の2分の1というありさまであった。脚気の病因については,当時なお中毒説・伝染説・栄養障害説がこもごも論ぜられ,治療のきめ手を欠いていたが,イギリスの衛生学を学んできた海軍の高木兼寛は,いちはやく脚気対策の重点を食に置き,兵食改良に着手し,海軍では兵食を米麦混食にしてから脚気は急速に減少した。
執筆者:立川 昭二
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ビタミンB1(チアミン)の欠乏による疾患で、ビタミン発見の端緒となった疾患の一つ。発症の誘因としては、ビタミンB1の摂取量不足、吸収障害、利用障害、所要量の増大が考えられる。摂取量不足には、絶対量の不足と、糖質(炭水化物)の代謝にビタミンB1が必要であり、糖質の過剰摂取のためにビタミンB1が大量に消費され、相対的に不足する場合もある。また、消化器疾患による吸収障害、肝硬変による利用障害もあり、アルコールの過飲は吸収と利用の両面とも障害する。さらに、甲状腺機能亢進(こうしん)症や熱性疾患のほか、激しい運動や肉体労働によっても所要量が増大し、不足をきたしやすくなる。
夏季に多く、初期には全身や下肢の倦怠感(けんたいかん)、食欲不振などがあり、しだいに下肢のしびれ感や知覚異常がおこり、多発性神経炎の症状が現れる。さらに進行すると、運動麻痺(まひ)が加わり、腱(けん)反射が消失して手足に力が入らず、寝たきりとなる。循環器系の症状として脈が速くなり、体を動かすとひどくなる。血管は弛緩(しかん)するので、拡張期血圧は低下する。進行すると心不全となり、放置すれば脚気衝心とよばれ、ショック状態となって死亡する。そのほか、むくみが全身にくるが、とくに下肢に多く、指で圧すとへこんだままで元にすぐ戻らない。
治療としては、軽症なら食事療法だけでも改善するが、重症の場合は、まずビタミンB1を5~10ミリグラム注射し、症状が好転すれば1.0ミリグラムの内服に切り替える。予防には、偏食や過労を避け、栄養のバランスを心がけ、ビタミンB1の含有量の多い食品(豚肉、鳥もつ、豆類、卵など)を献立に加える。
[橋詰直孝]
脚気は精白米を常食とする民族に多く発症していた。英語ではベリベリberiberiというが、これは東南アジアの原地語に由来し、スリランカのシンハラ語で「虚弱」の意味をもつ語を二つ重ねたものである。日本では江戸時代の享保(きょうほう)年間(1716~36)に江戸で大流行し、当時は「江戸煩(わずらい)」とよばれ、奇病とされていた。明治になっても脚気による死亡者は年間2万人にも達し、政府は1877年(明治10)12月各府県に脚気の原因究明と療法の調査を命じ、陸海軍当局も調査を始めた。脚気の原因には細菌感染説、真菌説、魚毒説、タンパク質や脂肪の欠乏説などの諸説があった。海軍省医務局長の高木兼寛は1882~84年(明治15~17)に海軍の遠洋航海訓練中の食事改善で脚気の予防に成功し、またバタビア(ジャカルタ)の病理研究所長エイクマンも鳥類白米病を発見した。つまり、脚気は白米摂取との関係が深く、特定物質の欠乏症状である可能性が唱えられ、有効物質の発見に努力が続けられた。1910年(明治43)鈴木梅太郎は特定物質の抽出に成功し、アベリ酸のちにオリザニンと名づけた。翌年、ロンドンのリスター研究所でフンクが同じく特定物質を純粋な形で抽出することに成功し、ビタミンと命名、これが世界的に認められ、ビタミン発見の第一号となった。かくて脚気の原因が判明し、治療法が確立した。しかし、1923年(大正12)には2万7000人もの死者を出したほど日本には典型的な脚気が多発し、結核と並び二大国民病として恐れられた。近年は栄養改善に伴い脚気の発症は激減したが、今日でもなお散発的に報告がある。
[橋詰直孝]
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…オランダの医学者。ネイケルクに生まれ,アムステルダムで医学を修め,1886年脚気調査団に参加してオランダ領東インド諸島に渡り,88年バタビアに新設された病理学研究所長に就任。細菌学興隆の時代を背景に脚気の病原体発見に努力したが成果なく,96年なかば偶然に脚気の原因を解明した。…
…反射中枢は,ヒトでは第2~4腰髄にある。脊髄癆(ろう),脊髄前角炎,多発性神経炎,脚気等で反射弓のどこかが障害されると,この反射は減弱・消失するため,これら疾患の検査に利用される。一方,脳出血や反射中枢より上位の脊髄疾患等で上位中枢からの抑制性の影響が弱まると,この反射は亢進する。…
… 日本海軍の軍医であった高木兼寛は1882‐84年,軍艦乗組員の大規模な栄養調査を行った。82年,東京からニュージーランドに向かった軍艦〈竜驤(りゆうじよう)〉は,272日の航海中,169人の脚気患者と25人の脚気による死者を出した。そこで彼は84年,同一航海についた軍艦〈筑波〉に対し,食事を変えタンパク質と野菜の多い洋食に近いものにしたところ,287日の航海で死者0,脚気患者14人という成果を得た。…
※「脚気」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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