轟武兵衛(読み)とどろき・ぶべえ

朝日日本歴史人物事典 「轟武兵衛」の解説

轟武兵衛

没年:明治6.5.8(1873)
生年:文政1.1.25(1818.3.1)
幕末維新期の尊攘派志士。名は寛胤,号は游冥,慎独軒など。一時,照幡列之助と名乗る。肥後藩(熊本県)藩士轟彦太郎の長男。林桜園皇学を学ぶ。文久1(1861)年,真木和泉,小河一敏らと薩摩に入り,島津久光上洛を勧めた。同2年,藩主細川護久の弟護美に従って上洛し,翌年親兵に選ばれた。8月18日の政変に際しては京都に留まったがまもなく帰藩を命ぜられ,その途次久留米で逮捕。3年間幽囚されたが,維新後許されて藩の中小姓,さらに徴士となった。その後郷里に帰り,56歳で病没

(三澤純)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「轟武兵衛」の解説

轟武兵衛 とどろき-ぶへえ

1818-1873 幕末の武士
文化15年1月25日生まれ。肥後熊本藩士。林桜園の門人で肥後勤王党の中心人物。文久2年京都へ出,攘夷(じょうい)を説く。翌年八月十八日の政変後に投獄される。維新後ゆるされ徴士,弾正(だんじょうの)大忠歴任。明治6年5月4/8日死去。56歳。名は寛胤(ひろたね)。変名は照幡(てるはた)烈之助。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「轟武兵衛」の解説

轟武兵衛 (とどろきぶへえ)

生年月日:1818年1月25日
江戸時代末期;明治時代の尊攘派志士
1873年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

青天の霹靂

《陸游「九月四日鶏未鳴起作」から。晴れ渡った空に突然起こる雷の意》急に起きる変動・大事件。また、突然うけた衝撃。[補説]「晴天の霹靂」と書くのは誤り。[類語]突発的・発作的・反射的・突然・ひょっこり・...

青天の霹靂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android