啓蒙(けいもう)思想家、国法学者。美作国(みまさかのくに)(岡山県)津山藩士。幼名を喜久治、真一郎と称した。1850年(嘉永3)江戸に出て箕作阮甫(みつくりげんぽ)、佐久間象山(さくましょうざん)に学び、1856年(安政3)箕作塾塾頭格となる。翌1857年蕃書調所(ばんしょしらべしょ)教授手伝並となり、同僚の西周(にしあまね)と親交を結ぶ。1862年(文久2)西らとともにオランダに留学、フィセリングSimon Vissering(1818―1888)教授について国法学を学ぶ。1865年(慶応1)帰朝。翌1866年西周とともに開成所教授職となり、フィセリング講義『国法論』を訳して幕府に提出した。維新後は明治政府に出仕し「新律綱領」の編纂(へんさん)事業にあずかるなど法律面の整備に従事したのち、1871年(明治4)外務権大丞(ごんのだいじょう)、1872年大法官、1873年陸軍大丞、1876年元老院議官、1885年高等法院裁判官などを歴任した。1890年の国会開設にあたり衆議院議員に当選し副議長に選出された。1896年貴族院議員、1900年(明治33)男爵に列せられた。この間、1873年(明治6)の「明六社(めいろくしゃ)」の結成に参加し、旺盛(おうせい)な評論活動を展開した。啓蒙思想家としての津田の本領は因果律に基づく仏教の非現世的教えや、観念的な規範主義に基づく儒教の教説を排して、人間の欲望の充足や幸福の追求を積極的に肯定する功利主義的人間観を提示した点にあった。こうした人間観の背後には精神の自由に対する深い関心があった。『明六雑誌』に寄稿したかなりの数の論文は、「自由の権」は「固有の正権」であることを述べ、国家の近代化のためには出版・表現の自由を保障して国民それぞれが「自主自由」であることが肝要であると説くなど、啓蒙思想家として躍如たるものがあった。
[田代和久 2016年9月16日]
『大久保利謙編『明治文学全集3 明治啓蒙思想集』(1967・筑摩書房)』▽『堀経夫著『西周と津田真道』(『明治経済学史』所収・1935・弘文堂)』
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明治初期の啓蒙思想家。美作国(岡山県)津山藩出身。江戸に出て箕作阮甫に蘭学,佐久間象山に兵学を学ぶ。蕃書調所教授手伝並となり,西周を知る。西らとともにオランダに留学し,フィセリングに師事して法学,経済学を修めて1865年(慶応1)に帰国し,日本で最初の近代法学書《泰西国法論》(1868)を出版した。維新政府に出仕して〈新律綱領〉の編纂に従い,また,日清修好条規締結に際して全権副使を務めた。この後,元老院議官,東京学士会院会員,民法編纂委員,衆議院議員,衆議院副議長(初代)を歴任。
この間,1873年結成の明六社に参加し,啓蒙思想家として,条件付きで民撰議院設立に賛成し,《明六雑誌》に多くの論文を発表した。また,津田の建議により神武天皇即位の年が紀元1年と定められた。
執筆者:佐藤 能丸
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(中野実)
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1829.6.25~1903.9.3
幕末~明治期の啓蒙家・官吏。美作国生れ。幼名喜久治。少年時代から国学・軍学を修め,江戸に出て箕作阮甫(みつくりげんぽ)・伊藤玄朴に洋学を学ぶ。蕃書調所に勤め,1862年(文久2)幕命により榎本武揚(たけあき)・西周(あまね)らとオランダに留学,法学を学ぶ。帰国後開成所教授に就任。68年(明治元)日本初の西洋法学書「泰西国法論」を翻訳・刊行。73年明六社に参加し,啓蒙的言論を展開。76年元老院議官,90年衆議院議員,のち貴族院議員。
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…この考え方は1872年(明治5)の〈学制〉の指導理念となった。代表的な実学者としては,西周(あまね),津田真道(まみち),加藤弘之,神田孝平,福沢諭吉,箕作麟祥(りんしよう)らが数えられる。西周は健康,知識,富有の三つを人生の宝とし,市民社会的倫理を基盤とする実学を主張,津田真道は朱子学的なリゴリズムからの人間性の解放を唱え,情欲を人間性の基本とするが,知識と慣習による情欲こそ開化人特有の情欲であり,天理と人欲は相反するものでないと考えた。…
…オランダの経済学者。1863年オランダのライデンで西周と津田真道に,治国学の基本として自然法,国際法,国法,経済学および統計学を教授したことで知られている。その講義は後に翻訳され,西周《万国公法》(1868),神田孝平《性法略》(1871),津田真道《泰西国法論》(1868)および,同《表記提綱》(1874)として公刊され,揺籃期の日本の法学・政治学に影響を及ぼした。…
… 三浦の場合も,〈公家制度の発達〉のなかでは大化改新以前を中国的概念でいう封建制の時代とみていたのに,〈“武家”制度の発達〉という論考にいたって,西洋的概念を用いはじめており,〈武家の世〉=〈封建の世〉という発想が中国的概念から西洋的概念への橋渡しをしているのである。もっとも,幕末・維新期からFeudalismusやLehnswesenを封建と訳すことが定着したわけでなく,津田真道の《泰西国法論》(オランダの憲法学者フィセリングの講義の邦訳。1868)は,〈籍土の制〉と訳しており,加藤弘之抄訳・ブルンチュリ《国法汎論》(1876)もこれを踏襲している。…
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