林桜園(読み)はやし おうえん

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「林桜園」の解説

林桜園 はやし-おうえん

1798-1870 江戸時代後期の国学者。
寛政10年生まれ。長瀬真幸(まさき)に師事神道による治世をとなえ,尊王攘夷(じょうい)を説く。私塾原道館をひらき,門人宮部鼎蔵(ていぞう),河上彦斎(げんさい),太田黒伴雄ら。その思想肥後勤王党,神風連原点となった。明治3年閏(うるう)10月12日死去。73歳。肥後(熊本県)出身。名は有通(ありみち)。通称は藤次。別号に千葉城老人。著作に「昇天秘説」「宇気比考」など。

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367日誕生日大事典 「林桜園」の解説

林 桜園 (はやし おうえん)

生年月日:1797年10月28日
江戸時代;明治時代の国学者
1870年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の林桜園の言及

【太田黒伴雄】より

…1869年(明治2)新開大神宮神官太田黒伊勢の養子となり,73年祠官となる。国学者林桜園に学び,〈わが古俗を尊び,欧風日々に我国に伝承せらるるを不快〉として,73年ごろ神道主義的保守政治をめざし神風連(敬神党)を組織。76年佩刀(はいとう)禁止令に反対して,10月24日同志170余名と熊本に挙兵(神風連の乱),鎮台司令官,県令を斬ったが,みずからも傷を負い同志数人と自刃した。…

※「林桜園」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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