出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
明治維新政府が藩・民間から登用して官吏に任命した者の呼称。徴とは「召し出す」の意。三職制の参与には藩士が任命されていたが、1868年(慶応4)正月17日に7科制が置かれると同時に、徴士、貢士(こうし)の制が新設された。定員はなく、参与に任命されて下の議事所(下議院)の構成員となり、同時に科、局の掛(かかり)を兼ねる行政官でもあった。任期は4年、ただし8年まで延長することができた。貢士の人事権が藩主にあったのに対して、徴士の人事権は朝廷にあり、その職務は徴士のほうが重い。徴士は朝廷ないし中央政府の官吏でありながら、他面、出身藩の藩主の家臣であるという二面性をもっていた。2月11日、徴士は朝臣であるべき旨の命が下ったが、二面性の解消は廃藩置県をまたなければならなかった。政体書に基づく太政官(だじょうかん)制のもとでは、藩士、庶民出身の官吏の呼称となり、翌69年廃止された。
[井上 勲]
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明治初年の官吏の職名。1868年(明治元)1月,三職七科の制の制定に際して貢士とともに設置。諸藩士や都鄙の有才の者から公議により選び,参与職に任じ下の議事所の議事官となることとされた。翌月,三職八局の制の制定により下の議事所の議事官は貢士が専任し,徴士は参与職および各局判事に任じられた。69年6月廃止。
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…明治維新期の議事官。1868年(明治1)1月17日三職分課の官制により,諸藩の徴士,貢士らによる下の議事所(公卿,諸侯の会議所は上の議事所)を設けた。徴士は諸藩士および都鄙(とひ)の有才の士から選抜されたもので参与職,分課の掛(のち判事)となったものをいい,貢士は大藩(40万石以上)から3名,中藩(10万石以上)から2名,小藩(10万石未満)から1名ずつ選出されたものをいった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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