朝日日本歴史人物事典 「辻内刑部左衛門」の解説
辻内刑部左衛門
生年:生年不詳
江戸前期,江戸幕府普請方の大工棟梁で椿新田(千葉県)開発の立役者。元桑名藩(三重県)の御抱大工であったが二条城修築の功績で幕府に召し抱えられる。土木測量の高い技量を買われ,白井次郎右衛門の誘いで椿海干拓計画出願に参加,幕閣を動かして幕府直営開発に踏み切らせ,開発請負人となるが,途中資力の尽きた白井の脱落により頓挫。その後は独力での請負を出願し,幕閣にくい込んでいた禅僧鉄牛の仲介を得て開発請負に成功。親類の江戸材木商野田屋,栗本屋を下請けとして排水工事に着手,湖水を九十九里浜へ落とす新川開削に成功(1670)するが,通水により沿岸住民に大被害を与え,対策実施中に病没する。開発事業は養子善右衛門が継いだ。椿新田は元禄検地(1695)で水田2740町歩余(約2717ha),通称「干潟八万石」と称された。なお,これまでこの開発を町人請負とするものがあるが誤り。<参考文献>『千葉県海上町史・椿新田関係史料』
(川名登)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報