椿海(読み)つぱきのうみ

日本歴史地名大系 「椿海」の解説

椿海
つぱきのうみ

千葉県の東部にあった東西約一二キロ・南北約六キロの楕円形の淡水湖。椿湖とも。九十九里浜の海退によって形成されたと思われ、近世初期まで下総国の海上うなかみ郡・香取郡匝瑳そうさ郡の三郡にわたる湖面であった。名称は椿の大木が生えていたことに由来するという伝説があるが(「香取志」など)、おそらくは湖岸の椿村(現八日市場市)の地名に由来するものであろう。寛文一〇年(一六七〇)からの干拓で消滅するが、それ以前の湖の形状を記した絵図が数点あり、下総国絵図(内閣文庫)では椿海とみえ、南岸のさき村の西から網戸あじと村・太田おおた村・成田なりた村を経て神宮寺じんぐうじ(以上現旭市)の西で太平洋に注ぐ細い水路が描かれており、海上・匝瑳両郡の境になっているとともに、干拓に伴って開削された排水路であるしん川の東筋の流路となっている。なお関東水流図(静嘉堂文庫)・関東五ヶ国水筋之図(船橋市西図書館蔵)では太平洋岸は簡略化されて描かれているものの、椿海の辺りが入江になっていることが注目される。湖の北西岸の現東庄とうのしよう町・干潟ひがた町域には千葉氏一族東氏の本貫である東庄が置かれ、鎌倉期にフナキの小地名がみえ、また船戸ふなど(現東庄町)の地名が残ることから、灌漑利用などのほか湊が置かれていたことが想定される。外洋に通じていたかどうかは不明だが、平忠常の一拠点という大友おおとも(現東庄町)が湖に近接していることも見逃しがたい。

当湖は寛文一〇年から干拓され、椿新田とよばれ、鎌数かまかず新町しんまち琴田ことだ諸村(現旭市)春海はるみ米持よねもち諸村(現八日市場市)長尾ながお大間手おおまて高生たかおい清滝きよたき幾世いくよ諸村(現海上町)夏目なつめ八重穂やえぼ諸村(現東庄町)万歳まんざい関戸せきど入野いりの米込よねごめ万力まんりき秋田あきた諸村(現干潟町)の一八村が形成された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「椿海」の意味・わかりやすい解説

椿海
つばきうみ

千葉県北東部、九十九里平野北端にあった潟湖(せきこ)。江戸初期、現在の匝瑳(そうさ)市、旭(あさひ)市にまたがる地域は、椿海とよばれた潟湖の湾入で太平洋と続いていた。この地が町人請負新田(うけおいしんでん)として開発され、干潟八万石とよぶ水田地帯が誕生した。江戸の町人杉山三右衛門(すぎやまさんえもん)、白井治郎右衛門(しらいじろうえもん)の干拓申請は幕府によって相次いで不許可となったが、白井は大工頭辻内刑部左衛門(つじうちぎょうぶざえもん)や黄檗(おうばく)僧鉄牛(てつぎゅう)の進言によって1668年(寛文8)干拓の許可を得た。干拓は白井・辻内両人によって進められ、その後資金難にも直面したが、幕府の援助もあって1670年に湖水を太平洋へ流す新川が完成し、以後3400町歩に及ぶ耕地が開かれ、村高2万4000石、18か村の新田村が成立した。用水は溜池(ためいけ)に依存したが不足して干害に悩まされ、また排水不良もあって水害を引き起こしてきたが、1951年(昭和26)に利根(とね)川から引水した大利根用水が完成して水田は安定し、早場米(はやばまい)地帯をなすに至った。

[山村順次]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「椿海」の意味・わかりやすい解説

椿海
つばきうみ

千葉県北東部,九十九里平野の北部にあった面積約 50km2,水深約 2mの旧潟湖。「つばきのうみ」ともいう。現在の旭市と八日市場市にまたがる。近世初期,江戸町人の請負により干拓され,干潟八万石といわれる米作地帯をなす。元禄8 (1695) 年の検地では 18ヵ村の入植を記録している。鬼のすみかであったツバキの巨木を,香取の神が鬼退治のため引き抜いた跡が湖水になったという伝説がある。

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世界大百科事典(旧版)内の椿海の言及

【九十九里浜】より

… 内陸部は7~8列の砂堆列と湿地列からなる幅6~10kmの隆起海岸平野で,九十九里平野といわれる。北部には近世初期に椿海を干拓した干潟八万石があり,南部は1967年に完工した国営両総用水によって土地改良が進んでいる(椿海干拓)。椿海は海上・香取・匝瑳(そうさ)3郡にわたる入海で,町人請負により1670年(寛文10)に干拓に着手,翌71年に湖水を干上げ,72年から稲作を始めた。…

【椿海干拓】より

…下総国香取,海上,匝瑳(そうさ)3郡(現在の千葉県旭市,八日市場市,香取郡干潟町,東庄町,海上郡海上町)にわたる湖,椿海の水を九十九里浜に排出した干拓事業。計画は元和年中(1615‐24)よりあったが,寛文年中(1661‐73)に江戸町人白井次郎右衛門が江戸幕府に出願,代官伊奈氏の検分を受けたが不許可となった。…

※「椿海」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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