…その後も山県有朋,桂太郎に接近し機務にあずかったため,日露講和と大正政変の2度にわたって,新聞社は民衆の襲撃をこうむった。1913年の桂の死を機に政治の機務からは離れ,100冊に及ぶ《近世日本国民史》の著作を始める(1952年に完結)が,一方では《時務一家言》などの著述を通じて,デモクラシーと国際協調の風潮を批判しつづける。23年の関東大震災で新聞社は全焼し,29年には新聞を手放さざるをえなくなった。…
※「近世日本国民史」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」