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徳富蘇峰 とくとみ そほう

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美術人名辞典の解説

徳富蘇峰

言論人・評論家・史学家。熊本県生。漢学者・教育者徳富一敬の長男、小説家徳富蘆花の兄。名は猪一郎。通称を菅正敬、号は山王草主人等。民友社を結成し、雑誌「国民之友」を発刊。同誌はのちの総合雑誌の先駆となり、国木田独歩・蘆花らを輩出する。文化勲章受章。昭和32年(1957)歿、94才。

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

徳富蘇峰

明治から昭和期にかけて活躍したジャーナリスト、評論家。月刊誌「国民之友」を主宰し、1890年に「国民新聞」を発刊。当初は平民主義を主張していたが、後に皇室中心の国家主義思想家として活動。作家の徳富蘆花は実弟。

(2006-07-15 朝日新聞 夕刊 文化芸能1)

出典|朝日新聞掲載「キーワード」
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デジタル大辞泉の解説

とくとみ‐そほう【徳富蘇峰】

[1863~1957]評論家。熊本の生まれ。本名、猪一郎。蘆花の兄。同志社中退後、自由民権運動に参加。のち民友社を設立、「国民之友」「国民新聞」を発刊し、平民主義を主張。日清戦争後は政府と結び、国家主義の鼓吹者となった。著「近世日本国民史」など。

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百科事典マイペディアの解説

徳富蘇峰【とくとみそほう】

ジャーナリスト,評論家。本名猪一郎。肥後国生れ。徳冨蘆花の兄。熊本洋学校を経て同志社に入るが,中退。1886年《将来之日本》で文名をあげ,翌年民友社を創立。平民的欧化主義をとる雑誌《国民之友》,《国民新聞》を創刊。
→関連項目熊本洋学校島田清次郎中西梅花新島襄日本文学報国会舞姫松崎天民宮崎滔天民友社矢島楫子横井小楠

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

徳富蘇峰 とくとみ-そほう

1863-1957 明治-昭和時代のジャーナリスト,評論家。
文久3年1月25日生まれ。徳富一敬(かずたか)の長男。徳冨蘆花(ろか)の兄。明治19年「将来之日本」で文名をあげる。20年民友社を創立,「国民之友」「国民新聞」を創刊し,平民主義を主張。日清(にっしん)戦争を機に国家主義にかたむく。第二次大戦中は大日本言論報国会会長。昭和18年文化勲章をうけるが,21年返上した。昭和32年11月2日死去。94歳。肥後(熊本県)出身。同志社英学校中退。本名は猪一郎。著作に「近世日本国民史」など。
【格言など】人生は一種の苦役なり。ただ不愉快に服役すると欣然として服役するとの相違あるのみ

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朝日日本歴史人物事典の解説

徳富蘇峰

没年:昭和32.11.2(1957)
生年:文久3.1.25(1863.3.14)
明治大正昭和期の新聞記者,歴史家。肥後国葦北郡水俣郷(熊本県水俣市)の豪農徳富一敬と久子の長男に生まれる。本名は猪一郎。弟は徳冨蘆花。父と共に熊本に出て,漢学を学び,のちに熊本洋学校に入学。教師L.L.ジェーンズの感化によってキリスト教に入信,先輩と花岡山山頂で奉教を誓った(熊本バンド)。さらに同志社に学んだが,新島襄と衝突し,明治13(1880)年退学。故郷に帰り,自由民権運動に参加,15年私塾大江義塾を開き,自らの学習と教育に当たった。19年塾を閉鎖し上京,『将来之日本』を刊行,一躍新進評論家として注目を集める。20年,民友社を設立し,雑誌『国民之友』を創刊,青年層を中心に圧倒的支持を得た。この年には『新日本之青年』も出版し,文字通り「明治の青年」の指導者となった。23年には『国民新聞』を発刊し,「平民主義」を標榜する言論によってジャーナリズムリードした。しかし,日清戦争(1894~95)前後から対外膨張を主張するようになり,30年の欧米巡覧によって決定的となった。44年貴族院勅選議員。明治後半から大正初期は藩閥,特に桂太郎と密接に提携した言論活動を展開し,彼の国民新聞社は2度にわたって民衆に焼き打ちされた。桂死後の大正中期以降は,社会の大衆化に危機感を深め,皇室中心主義による国民道徳を唱え,「近世日本国民史」を連載するなど言論界の一方の雄であった。昭和4(1929)年国民新聞社の経営難から退社を余儀なくされ,以後は大阪毎日新聞社の社賓となる。<著作>『蘇峰自伝』『明治文学全集34・徳富蘇峰集』<参考文献>杉井六郎『徳富蘇峰の研究』

(有山輝雄)

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世界大百科事典 第2版の解説

とくとみそほう【徳富蘇峰】

1863‐1957(文久3‐昭和32)
新聞人,文筆家。名は猪一郎(いいちろう)。蘆花の兄。肥後国水俣の郷士の子。熊本洋学校をへて同志社に入り,新島襄の薫陶をうけ,一度はキリスト教の洗礼をうけるが,1880年同校を中退し郷里へ帰る。熊本では自由民権の結社相愛社に加盟し,政談演説や新聞編集に従事するが,82年より自宅に大江義塾を開き,自由主義を標榜した実学教育を行う一方,いくつかのパンフレット自費出版し,文筆活動に入る準備をする。この間,東京や高知に旅行し板垣退助中江兆民田口卯吉らの知遇をえる。

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大辞林 第三版の解説

とくとみそほう【徳富蘇峰】

1863~1957) 評論家。熊本県生まれ。本名、猪一郎。蘆花の兄。民友社を創立し「国民之友」「国民新聞」を刊行。進歩的平民主義に立つ時論家として知られたが、日清戦争前後より国権主義に転じた。第二次大戦中は大日本言論報国会会長となる。戦後、公職追放。著「近世日本国民史」「蘇峰自伝」など多数。

出典|三省堂
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

徳富蘇峰
とくとみそほう

[生]文久3(1863).1.25. 肥後
[没]1957.11.2. 熱海
ジャーナリスト,歴史家。本名は猪一郎。蘆花の兄。熊本洋学校に学んだのち,1876年同志社に入学したが中退。 1882年熊本に大江義塾を開いた。 1886年『将来之日本』の出版で世の注目を浴び,上京。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

徳富蘇峰
とくとみそほう
(1863―1957)

明治・大正・昭和の3代にわたるジャーナリスト、歴史家。文久3年1月25日、肥後国上益城(かみましき)郡益城町字杉堂村(現、熊本市東区秋津町)に出生。本名猪一郎(いいちろう)。蘆花(ろか)の兄。徳富家は代々惣庄屋(そうしょうや)兼代官を勤め、父一敬(いっけい)(1822―1914)は横井小楠(よこいしょうなん)の高弟で、肥後実学党の指導者として幕末から明治10年代にかけて開明的思想家として活躍した。蘇峰は、肥後実学党系の漢学塾で学んだのち、1875年(明治8)熊本洋学校に入学、漢訳の『新・旧約聖書』に触れて、西洋の学問やキリスト教に興味を開かれた。翌1876年熊本バンドの結盟に参加。これを契機に漢学や儒教倫理の支配する旧世界を抜け出し、1876年同志社英学校に入学、同年12月新島襄(にいじまじょう)より受洗。1880年同校を退学して上京、新聞記者への志果たせず帰郷。郷里の水俣(みなまた)にあって自由党系の民権結社相愛社に加入、強烈なナショナリズムに裏づけられた民権論を主張した。1882年3月大江村の自宅に大江義塾を開校し、1886年9月閉鎖するまで英学・歴史・経済・政治学等を担当して郷里の青年の教化に努めた。この間、蘇峰はビクトリア自由主義の思想家に多くを学び、平民主義の思想を形成していった。蘇峰のいう「平民主義」とは、生産機関を中心とする自由な生活社会・経済社会を基礎としつつ、個人の固有の権利の尊重と平等主義とが貫徹する社会の実現を目ざすものであり、明治政府ばかりでなく民権論者の論調にみられる国権主義や武備拡張主義の誤謬(ごびゅう)を鋭くつくと同時に、自由にして安全な生活と幸福を求める平和主義、自由主義、平等主義の若々しい宣言であった。大江義塾時代の研鑽(けんさん)の結晶として『第十九世紀日本ノ青年及其(その)教育』(1885)を自費出版し、『将来之日本』(1886)を刊行して中央の論壇に華々しくデビューした蘇峰は、1887年民友社を設立して雑誌『国民之友』を創刊、1890年には『国民新聞』を創刊して、以後、明治・大正・昭和の3代にわたるオピニオン・リーダーとして活躍した。この間、日清(にっしん)戦争後の三国干渉を機に国家主義の立場を鮮明にし、従来の平民主義からの変節と非難された。政治的には桂太郎(かつらたろう)と結び、日露講和での日比谷騒擾(ひびやそうじょう)事件や、大正政変では社屋が焼打ちにあった。晩年は『近世日本国民史』全100巻(1918~1952・時事通信社)の執筆に専念した。1911年(明治44)貴族院勅選議員。太平洋戦争の宣戦の詔勅の起草者。1942年(昭和17)大日本言論報国会会長。1943年文化勲章受章。太平洋戦争後は公職追放を受け、熱海(あたみ)に隠棲(いんせい)した。昭和32年11月2日死去。[田代和久]
『神島二郎編『近代日本思想大系8 徳富蘇峰集』(1978・筑摩書房) ▽『近世日本国民史』(講談社学術文庫) ▽杉井六郎著『徳富蘇峰の研究』(1977・法政大学出版局) ▽花立三郎著『大江義塾』(1982・ぺりかん社)』

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世界大百科事典内の徳富蘇峰の言及

【京城日報】より

…《大韓毎日申報(しんぽう)》をはじめとして,抗日の論陣を張る朝鮮語新聞に対し,同時期に創刊された英字新聞《ソウル・プレスThe Seoul Press》とともに日本統監府の強力な言論機関であった。10年,朝鮮総督府設置とともに,国民新聞社の徳富蘇峰を監督に迎えてその指導をうけ,また《大韓毎日申報》を買収,改題して同年10月ハングル新聞《毎日申報》を創刊(1924年分離独立,38年《毎日新報》と改題)。《朝鮮日日新聞》と並ぶ二大新聞として,日本支配の終焉まで続いた。…

【国民新聞】より

…1890年2月1日,徳富蘇峰によって創刊された日刊新聞。雑誌《国民之友》を発行し,大成功をおさめていた蘇峰が〈新聞其物をして社会の生活と一致合体せしむる〉を基本方針として発刊した。…

【国民之友】より

徳富蘇峰によって設立された民友社から,蘇峰みずから主筆となって1887年(明治20)に発刊された総合雑誌。誌名はアメリカの《ネーション》誌からとられた。…

【ジャーナリズム】より

…こののち,明治20年代の大日本帝国憲法体制の創成期にこれらの政治党派とは距離をおいた言論人独自の文筆活動がさかんとなった。この時期の思想界の花形だった徳富蘇峰は民友社をひきいて雑誌《国民之友》と《国民新聞》などにより思想の近代化を唱え,彼のいう〈平民主義〉に多くの青年たちを共鳴させた。また二葉亭四迷や徳冨蘆花などによる文学の革新をも実現させた。…

【紳士】より

…文明開化を象徴して,シルクハットないし山高帽にフロックコート,モーニングが典型的な紳士の図で,その戯画的表現が鹿鳴館の夜会に集う紳士淑女である。これに対し徳富蘇峰のように,イギリスの地方郷紳を模して〈田舎紳士〉を主張する試みもみられたが,その担い手である豪農層が寄生地主化し,進取性を失うにつれてその存在意義も失われていった。ジェントルマン【寺尾 方孝】。…

【大日本言論報国会】より

…情報局の指導監督のもとに結成運営されたもので,最初〈大日本思想報国会〉として発起され,のち〈大日本言論報国会〉となり,1942年12月23日に創立された。会長徳富蘇峰(猪一郎),専務理事鹿子木(かのこぎ)員信,理事津久井竜雄ら27名。会員は〈日本評論家協会〉(1940創立,代表者津久井竜雄)を中核に,一般評論家をも糾合し,43年7月現在で総数917名に達していた。…

【マッツィーニ】より

… マッツィーニはリソルジメントの最大の推進者であったが,現実の結果は彼の期待に反するものとなり,失意のうちに生涯を閉じた。徳富蘇峰は明治期の書《吉田松陰》でマッツィーニを松陰の精神と横井小楠の理想を併せ備えた人物として紹介し,また石川三四郎はマルクスとは別の労働運動観に立つマッツィーニの思想に関心を示した。リソルジメント【北原 敦】。…

【民友社】より

…1887年1月,徳富蘇峰が熊本の大江義塾の関係者を中心に東京赤坂に設立した思想結社および出版社。同年2月総合雑誌《国民之友》(社名は本誌に由来する)を創刊,同誌は藩閥政治と貴族的な欧化政策に反対して平民主義を掲げ,徳富らがその担い手と期待する〈田舎紳士〉をはじめとする青年知識層の支持を得て,明治中期の言論思想界に多大の影響を与えた。…

【明治維新】より

…民権運動が目標とした国会開設の原点は五ヵ条の誓文に代表される〈維新の精神〉に求められ,明治藩閥政府はそれを忘却したと攻撃されたのである。これは明治20年代前半の民友社の平民主義の主張にもうけつがれ,徳富蘇峰,人見一太郎,竹越与三郎(三叉(さんさ))らの主張に代表された。彼らは〈維新の精神〉こそが原点であって,今の政府は〈維新大革命の血脈に背くもの〉で,決して正統なあとつぎではない,と批判した。…

【リソルジメント】より

…この場合も論者により三人への比重の置き方は違っており,竹越与三郎《新日本史》(1891‐92)は〈以太利は欧州の日本也〉と述べて,自由主義政治家としてのカブールに高い評価を与えた。また徳富蘇峰《吉田松陰》(1893)は,松陰の精神と横井小楠の理想を兼ね備えた人物としてマッツィーニを紹介し,三宅雪嶺は明治30年代初めの論文でガリバルディを西郷隆盛と比較しながらその人物像を詳細に描いた。【北原 敦】。…

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