近藤 雪竹
コンドウ セッチク
明治・大正期の書家
- 生年
- 文久3年6月20日(1863年)
- 没年
- 昭和3(1928)年10月14日
- 出生地
- 江戸・青山
- 本名
- 近藤 富寿
- 経歴
- 水戸藩士の子に生まれる。書道を志し、明治12年日下部鳴鶴の門下となり中国の漢魏六朝の碑法帖を学ぶ。また漢籍を紀州藩儒・井上韋斎に学んだ。隷書に優れ、比田井天来らと共に門下の三羽がらすとして知られる。一方、逓信省に勤務し、大正12年辞す。書道奨励会の審査員、日本書道会および文墨協会の幹事として書道界に貢献した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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近藤雪竹 こんどう-せっちく
1863-1928 明治-大正時代の書家。
文久3年6月20日生まれ。日下部鳴鶴(くさかべ-めいかく)に中国の漢魏六朝の碑法帖をまなぶ。隷書(れいしょ)にすぐれ,比田井天来(ひだい-てんらい)らとともに門下の三羽がらすといわれた。昭和3年10月14日死去。66歳。江戸出身。名は富寿。字(あざな)は考卿。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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