デジタル大辞泉
「青山」の意味・読み・例文・類語
あおやま【青山】[地名]
東京都港区の地名。江戸初期、青山常陸介忠成の屋敷があった。南部に青山霊園がある。
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せい‐ざん【青山】
- [ 1 ] 〘 名詞 〙
- ① 樹木などが生い茂って青々としている山。青嶂(せいしょう)。青峰。
- [初出の実例]「鳥出二樊籠一翅不レ傷、青山碧海任低
」(出典:菅家文草(900頃)四・遊覧偶吟) - 「松柏影を浸して、青山も動くが如く、石岩流れを徹(とほ)して、白雪の翻るに相似たり」(出典:太平記(14C後)二八)
- [その他の文献]〔李白‐送友人詩〕
- ② 骨を埋める土地。墳墓の地。
- [初出の実例]「埋レ骨何期墳墓地、人間到処有二青山一」(出典:清狂遺稿(1892)〈釈月性〉上・将東遊題壁詩)
- [その他の文献]〔蘇軾‐授獄卒梁成以遺子由詩〕
- [ 2 ] 琵琶(びわ)の名。中国、唐から伝来した名器で、平経正が琵琶の名手であったので、仁和寺の守覚法親王から一時下賜されたという。
- [初出の実例]「三曲を伝へて帰朝せしに、玄象・師子丸・青山、三面の琵琶を相伝してわたりけるが」(出典:平家物語(13C前)七)
青山の補助注記
( [ 一 ]②について ) 本来木の茂った山のことであるが、挙例の蘇軾の詩、ひいて清狂の作から墓地、死に場所のことと解せられることになった。
あお‐やまあを‥【青山】
- [ 1 ] 〘 名詞 〙
- ① 草木が青々と茂っている山。
- [初出の実例]「引(ひ)こづらひ 我が立たせれば 阿遠夜麻(アヲヤマ)に 鵼(ぬえ)は鳴きぬ さ野つ鳥 雉(きぎし)は響(とよ)む」(出典:古事記(712)上・歌謡)
- 「ふりさけ見れば青山(アヲヤマ)も 色はもみぢに染めかへて」(出典:若菜集(1897)〈島崎藤村〉秋風の歌)
- ② 祝儀などで用いる細工蒲鉾(かまぼこ)の一種。
- [ 2 ] 東京都港区北部の山手台地上の地名。中世から大山街道が通り、青山の宿があって発展。江戸初期、青山忠成がこの地帯を徳川家康から拝領したため呼ばれた。東宮御所、明治神宮外苑がある。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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青山
あおやま
江戸時代は赤坂西方のおおむね台地上の広域をいう。千駄ヶ谷村・原宿村・渋谷村(現渋谷区)の入交じる地に江戸時代になって屋敷居宅と若干の町屋が生じた地域。相模大山方面への矢倉沢往還が南西へ通過している。天正一八年(一五九〇)徳川家康の入部直後、譜代の重臣青山忠成あるいは子の忠俊に広大な屋敷が与えられた。馬で走った限りの土地を得たという新宿内藤氏同様の囲込み説話をもつ駒止八幡があった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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青山 (あおやま)
東京都港区西部から渋谷区東部へかけての地区名。旧赤坂区の一部。武蔵野(山手)洪積台地の一部で,標高20~30mの台地を多くの谷が刻んでいる。江戸市街地の外縁部に当たり,大名下屋敷,武家屋敷が多かった。明治以後,これらの広い屋敷の敷地を利用して,高級住宅地が発達した。青山大膳亮の下屋敷跡地は,1872年(明治5)日本で最初の公営墓地青山霊園(約30万m2)となった。第2次世界大戦中に大部分が戦災を受けたが,高級マンションの多い住宅地として再生した。青山通りは,六本木から原宿へ至る現代ファッションの中心として知られ,地下鉄の便がよい。南青山にある根津美術館は,実業家根津嘉一郎が収集した東洋美術品で名高い。現在,〈青山〉のつく行政上の地名は,港区西部の北青山,南青山に限られているが,青山学院は隣接する渋谷区にある。
執筆者:正井 泰夫
歴史
江戸城南西地域の称で,東は赤坂,西は原宿,渋谷,南は麻布,北は千駄ヶ谷,鮫ヶ橋に接する。青山の名は江戸初期の幕臣青山忠成の邸地として一帯が賜与されて以来のことという。おもに武家屋敷地として開発が進み,1827年(文政10)の《武鑑》によれば,当地域内の大名屋敷は30(上屋敷3,中屋敷4,下屋敷23)あり,ほかに多くの旗本屋敷があった。のちに武家地の間を縫うようにして武家関係者の拝領町屋が発達したが,その初めは1683年(天和3)に他地域より移転して成立した御手大工町,六軒町,御炉路町,浅河町,五十人町などであった。門前町屋としては1705年(宝永2)に谷中より移転した善光寺門前がある。1827年の調査によれば当地域内の町数10,総戸数1027(地主・家持22,地守・家守100,地借144,店借627,明店134)であった。
執筆者:松崎 欣一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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青山(三重県)
あおやま
三重県中西部、名賀郡(ながぐん)にあった旧町名(青山町(ちょう))。現在は伊賀(いが)市の南部を占める一地域。1955年(昭和30)阿保(あお)町と上津(こうづ)、種生(たねお)、矢持(やもち)の3村が合併して成立。2004年(平成16)上野市、伊賀町、阿山(あやま)町、島ヶ原(しまがはら)村、大山田(おおやまだ)村と合併、伊賀市となる。名称の「青山」は公募で選ばれた。旧町域は、上野盆地の南東端、名張(なばり)市に隣接する。木津川最上流部、布引(ぬのびき)山地西麓(せいろく)の丘陵性山地が大部分で、北西端で木津川と前深瀬川が合流する所にわずかに平地が開け、初瀬街道の宿場町としてにぎわった中心集落の阿保がある。近畿日本鉄道大阪線、伊賀鉄道伊賀線、国道165号、422号が通じ、近年大阪の遠郊住宅都市化が及び、桐ヶ丘住宅地、青山工業団地が造成された。面積の約80%が山林で、農林業が主産業。スギ、ヒノキなどの素材生産が多く、また、良質の酒米を産する。青山高原への入口にあたり観光開発にも力を入れている。国の特別天然記念物オオサンショウウオの生息地。国指定重要文化財として、大村神社宝殿、宝厳寺(ほうごんじ)の十一面観音立像、常楽寺の大般若経がある。
[伊藤達雄]
『『青山町史』(1979・青山町)』
青山(東京都)
あおやま
東京都港区の北西部、東は赤坂、南は麻布(あざぶ)に接する地区。青山通りを境にして北青山と南青山がある。山手(やまのて)台地の一部を占めるが、侵食谷が台地を刻んで坂が多い。東京地下鉄銀座線、半蔵門(はんぞうもん)線、千代田線が通じる。青山という地名は、江戸初期、町奉行(ぶぎょう)青山忠成(ただなり)(1551―1613。常陸介(ひたちのすけ))がこの地に邸地を拝領して以来のものという。明治になり住宅地域として発展した。広大な空地は青山墓地となり、旧陸軍の連隊の敷地としても利用された。また新宿区にまたがる旧青山練兵場跡は、1926年(大正15)明治神宮外苑(がいえん)となった。東京オリンピック開催時(1964)に拡幅された青山通りは、江戸時代の大山街道で、現在は高級な買物街として知られる。南青山には庭園の美しい根津美術館があるほか、モロッコ大使館など各国大使館も多い。
[沢田 清]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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青山
あおやま
三重県北西部,伊賀市南部の旧町域。上野盆地南東端から布引山地西斜面に広がる。 1955年阿保 (あお) 町,上津村,種生 (たなお) 村,矢持村が合体して町制。 2004年上野市,伊賀町,島ヶ原村,阿山町,大山田村と合体して伊賀市となった。中心地区の阿保は,近世,初瀬街道 (現国道 165号線) の宿駅として知られた。主産業は農林業,製材業,伊賀肉生産の畜産業。大阪方面への通勤圏内にあるため住宅地化が進んでいる。近畿日本鉄道大阪線の西青山駅は青山高原への登山口で,観光開発にも力を入れている。大村神社の宝殿をはじめ,国の重要文化財を有する古社寺があり,東部の山岳地帯は,室生赤目青山国定公園に属する。
青山
あおやま
東京都港区北西部の地区。地名は,徳川家康の小姓青山忠成が土地を拝領したことに由来。大山街道に沿って武家屋敷や社寺があったところ。明治以後練兵場,兵営など軍関係施設が多かった。現在は都心の高級住宅街,商業地。東京地下鉄銀座線,半蔵門線,千代田線および都営地下鉄大江戸線が交差し,高層ビルが林立するオフィス街にもなっている。北部には明治神宮外苑のテニスコート,ラグビー場などがあり,東部には根津美術館,青山霊園がある。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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普及版 字通
「青山」の読み・字形・画数・意味
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
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青山[町]【あおやま】
三重県名賀郡の旧町。布引山地に属する山林が町域の80%を占め,木材を産し,製材が盛ん。中心集落阿保(あお)は初瀬(はせ)街道(国道165号線)に沿い,近鉄大阪線が通じる。東部に青山峠がある。2004年11月上野市,阿山郡伊賀町,阿山町,大山田村,島ヶ原村と合併し市制,伊賀市となる。109.00km2。1万1875人(2003)。
青山【あおやま】
東京都港区北西部を占める北青山・南青山両町一帯の称。山の手台地末端の高台にあたり,赤坂に接し,江戸時代は社寺,武家屋敷のあったところで,明治以後兵営,練兵場がつくられた。その後,住宅地として発展し,現在はオフィスビルや高級ブランド店が立ち並んでいる。青山通りは渋谷に続く商店街で,高層ビルが立ち並ぶ。青山霊園は1872年に設けられた約30万m2の墓地で名士の墓が多い。
→関連項目港[区]
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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青山 せいざん
?-? 江戸時代中期の陶工。
京都清水(きよみず)風の染め付けの菓子鉢,花瓶などの雑器に青山の銘印がみえる。明和(1764-72)ごろの作という。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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