日下部鳴鶴(読み)クサカベメイカク

精選版 日本国語大辞典 「日下部鳴鶴」の意味・読み・例文・類語

くさかべ‐めいかく【日下部鳴鶴】

  1. 書家。名は東作。別号翠雨野鶴など。滋賀県出身。太政官、大書記官を歴任。はじめ巻菱湖(まきりょうこ)貫名海屋(ぬきなかいおく)の書風を学んだ。のち来日した清の楊守敬に啓発されて、漢魏六朝の書法をきわめる。その書は明治の書道界を風靡(ふうび)した。天保九~大正一一年(一八三八‐一九二二

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「日下部鳴鶴」の意味・わかりやすい解説

日下部鳴鶴
くさかべめいかく
(1838―1922)

明治・大正の書家。名は東作、字(あざな)は子暘(しよう)、鳴鶴はその号。彦根(ひこね)藩士田中惣右衛門(そうえもん)の二男で、のちに同藩の日下部三郎右衛門(さぶろうえもん)の養子となる。1869年(明治2)東京に出て太政官(だじょうかん)の大書記となり、三条実美(さねとみ)、大久保利通(としみち)らの厚い信任を得る。79年、前年の大久保暗殺事件を契機辞職、もっぱら書家としてたつ。ときに42歳。翌年、楊守敬(ようしゅけい)が来日、金石学や漢魏六朝隋唐(かんぎりくちょうずいとう)の拓本多数をもたらして、わが国書壇に一大旋風を巻き起こした。鳴鶴は巌谷一六(いわやいちろく)らとともに熱心に師事、深く傾倒した。楊守敬から学んだ新しい書法は六朝書道とよばれて新時代を画し、それによって大きく変貌(へんぼう)を遂げた鳴鶴の書風は、以後のわが国書道の動向に大きな影響を与えた。彼は門弟数百人を擁する書壇の雄であり、楷(かい)行草隷各体に巧みで、全国各地にその筆になる碑文が残されている。

[尾下多美子]

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改訂新版 世界大百科事典 「日下部鳴鶴」の意味・わかりやすい解説

日下部鳴鶴 (くさかべめいかく)
生没年:1838-1922(天保9-大正11)

書家。近江彦根の人。名は東作,字は子暘。彦根藩士日下部三郎右衛門の養子となったが,桜田門の変で父は殉死した。1869年(明治2)東京に出て太政官大書記となったが,後年は書をもって身をたてた。はじめ巻菱湖(まきりようこ)の書風を学ぶが,80年に来朝した楊守敬の影響を受けて六朝書道を研究,のち清国にも遊学して見聞を広め,深い学識と高古な人柄とによって彼の書名は一世を風靡した。現代書道発展の先駆者として,その功績は高く評価されている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「日下部鳴鶴」の意味・わかりやすい解説

日下部鳴鶴
くさかべめいかく

[生]天保9(1838).8.18. 江戸
[没]1922.1.27. 東京
明治,大正の書家。旧姓田中,のち日下部家の養子となった。名は八十八のち東作。字は子暘。号は鳴鶴,東嶼,翠雨,野鶴など。彦根藩士で明治になって太政官に奉職し,大書記官となった。書は初め巻菱湖 (まきりょうこ) ,貫名海屋 (ぬきなかいおく) らに,次いで 1880年来朝した清の楊守敬に学んだ。さらに 91年中国に渡って古法をきわめ,謹厳で気迫に満ちた鳴鶴流を完成し,明治以降の唐様書道界に君臨した。主要作品『草書七絶条幅』 (1897頃) ,『南紀瀞渓詩』 (1918) 。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「日下部鳴鶴」の解説

日下部鳴鶴 くさかべ-めいかく

1838-1922 明治-大正時代の書家。
天保(てんぽう)9年8月18日生まれ。もと近江(おうみ)(滋賀県)彦根藩士。明治2年太政官大書記官となり,12年辞任。13年清(しん)(中国)の楊守敬(よう-しゅけい)が来日すると巌谷一六(いわや-いちろく)らとともに漢魏六朝(かんぎりくちょう)の書法をまなび,六朝書道とよばれる新書風をうちたてた。大正11年1月27日死去。85歳。作品に「大久保公神道碑」。本姓は田中。名は東作。字(あざな)は子暘(しよう)。

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旺文社日本史事典 三訂版 「日下部鳴鶴」の解説

日下部鳴鶴
くさかべめいかく

1838〜1922
明治・大正時代の書家
名は東作。彦根藩士の家に生まれ,明治維新後太政官に勤めたが1879年辞任。中国の書道(唐・六朝)を研究して鳴鶴流を創始,以後公文書は御家流 (おいえりゆう) から唐様に一変した。大久保利通の知遇をうける。

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367日誕生日大事典 「日下部鳴鶴」の解説

日下部 鳴鶴 (くさかべ めいかく)

生年月日:1838年8月18日
明治時代;大正時代の書家
1922年没

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