迫川村(読み)はざかわむら

日本歴史地名大系 「迫川村」の解説

迫川村
はざかわむら

[現在地名]灘崎町迫川

宗津そうづ村の南東にあり、村中央をみや川が東流、つね山の北麓に枝村茂曾路もそろがある。当地一帯に新熊野いまくまの(現倉敷市)社領の波佐川はざかわ庄が成立していたといわれ、同庄は「黄薇古簡集」所収の承元四年(一二一〇)九月一九日の存擬鎌倉将軍家御教書などによると、佐々木盛綱に与えられていた地頭職が源実朝から往古に従って同社長床に返されたという。戦国期には上野(三村)隆徳が居城した常山城が宇藤木うとうぎ(現玉野市)との境にあり、天正三年(一五七五)六月の落城に際し茂曾路地区は放火されたという(児島常山軍記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android