追上村
おいあげむら
[現在地名]仲南町十郷
大口村の北に位置し、金毘羅・伊予街道が当村を通る。地名の由来は、旅人が重い荷物を背負い直して樅ノ木峠に向かったことによるとか、追分が転訛して追上になったとかいう。寛永国絵図では七ヶ村に属する。寛文四年(一六六四)の丸亀藩高辻帳では高八五石余。天保郷帳では高一五四石余。「西讃府志」によると田畝一六町三反余(うち畑五町三反余・屋舗六反余)、租税は米三六石余・大麦三石余・小麦一石余・大豆六斗余、家数三四・人数一四六、牛一九・馬三、溜池は椴木池・合殿池など五、堰一〇。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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