通山明神跡(読み)つうさんみようじんあと

日本歴史地名大系 「通山明神跡」の解説

通山明神跡
つうさんみようじんあと

[現在地名]阿山町内保

「とおりやまみょうじん」ともいう。内保の鴛尾うちほのおしおにあり、別名宇都可うつか神社とも称し、延喜式内社とされるが、同名の神社は阿拝郡土橋つちはし(現上野市)にもある。「伊水温故」には「延喜式伊賀二十五座 宇都可社、宇都賀ヲ内保ト謬タル也」とあり、「伊賀国誌」(内閣文庫蔵)に「通山大明神有内保村」とある。度会延経の「神名帳考証」もまた「在内保村云通山社」とする。宇都可神社は貞観一五年(八七三)に正六位上より従五位下に進階している(三代実録)。ところが、内保の東方一〇キロの近江・伊賀の国境にそびえる油日あぶらひ(六九四メートル)の山霊を祀って、油日神社(現滋賀県甲賀町)があり、同社も通山大明神と称した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む