日本歴史地名大系 「内保村」の解説
内保村
うちぼむら
延文三年(一三五八)一一月四日の左衛門尉信氏寄進状案(総持寺文書、以下同文書は省略)に「櫛比庄内保村」とみえ、村内の本内の田一段四が総持寺に寄進されている。以後、貞治六年(一三六七)に「うちほむらほりこし」の田二段(同年二月九日長谷部瑠璃若寄進状)と義勝知行分二段(同年九月一四日長谷部義勝寄進状)と義勝より六貫文で買得した一〇〇刈(同年一一月一〇日尼見祐寄進状)、応安二年(一三六九)には「ほりこし」「よしかわ」「なかゑむら」各一町のほか三段(同年一〇月三日長谷部宗悟寄進状など)が長谷部氏より総持寺に寄進されている。
内保村
うちぼむら
内保村
うちほむら
内保村
うちぼむら
内保村
ないほむら
明治初年から大正一二年(一九二三)までの村。ナイボとも訓じる(大小区画沿革表)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報