進藤純孝(読み)シンドウ ジュンコウ

20世紀日本人名事典 「進藤純孝」の解説

進藤 純孝
シンドウ ジュンコウ

昭和・平成期の文芸評論家



生年
大正11(1922)年1月1日

没年
平成11(1999)年5月9日

出生地
東京

出身地
愛媛県川之江市

本名
若倉 雅郎(ワカクラ マサオ)

学歴〔年〕
東京大学倫理学科〔昭和25年〕卒,東京大学大学院(旧制)倫理学専攻〔昭和28年〕修了

経歴
新潮社で編集者生活後、昭和27年「文学界」に「カミュ論」を書いて評論活動に入る。服部達、村松剛ら“メタフィジック批評派”の流れに組し、佐伯彰一らと季刊「批評」を興した。評論集「戦後文学旗手」「反逆的作家論」「マス・コミの中の文学」などを通して、戦後文学の倫理主義的感傷を追求。日本大学芸術学部教授、日本文芸家協会評議員も務めた。他の著書に「志賀直哉論」「伝記・芥川龍之介」「伝記・川端康成」「ジャアナリスト作法」「日本の青春」「小説都に死す」「山月記の叫び」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「進藤純孝」の解説

進藤純孝 しんどう-じゅんこう

1922-1999 昭和後期-平成時代の文芸評論家。
大正11年1月1日生まれ。昭和21年新潮社にはいり,34年までつとめる。その間の30年「戦後文学の旗手」,32年「反逆的作家論」を発表し,戦後文学を批評。35年「マス・コミの中の文学」以後,作家論にすすみ,「志賀直哉論」「伝記川端康成」「伝記芥川竜之介」などを刊行。44年日大教授。平成11年5月9日死去。77歳。東京出身。東大卒。本名は若倉雅郎(まさお)。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「進藤純孝」の解説

進藤 純孝 (しんどう じゅんこう)

生年月日:1922年1月1日
昭和時代;平成時代の文芸評論家
1999年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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