運命の饗宴

世界大百科事典(旧版)内の運命の饗宴の言及

【デュビビエ】より

…とくに日本では圧倒的な人気と高い評価で,《にんじん》(1932),《白き処女地》(1934),《地の果てを行く》(1935),《我等の仲間》(1936),《望郷》《舞踏会の手帖》(ともに1937),《旅路の果て》(1939)などはフランス映画の珠玉の名作として多くの人々に記憶されている。 第2次世界大戦中はアメリカに渡って,オムニバス映画の傑作として知られる《運命の饗宴》(1942)などをつくり,戦後ヨーロッパにもどってフランス,イギリス,ドイツで監督をつづけたが,フランス・イタリア合作の《陽気なドン・カミロ》(1952)で面目を保ったにすぎず,とくに〈ヌーベル・バーグ〉以後は,戦後社会の時代の流れに取り残された〈職人作家〉とみなされるに至り,かつての成功作はシャルル・スパーク(1903‐75)やアンリ・ジャンソン(1900‐70)のシナリオの力によるものであり,デュビビエの最大の功績はジャン・ギャバンのスターとしてのイメージをつくりだしたことであるという程度に片づけられてしまっているほどフランスでは評価が低い。【柏倉 昌美】。…

※「運命の饗宴」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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