レジスタンス文学(読み)れじすたんすぶんがく(その他表記)littérature de la résistance

日本大百科全書(ニッポニカ) 「レジスタンス文学」の意味・わかりやすい解説

レジスタンス文学
れじすたんすぶんがく
littérature de la résistance

第二次世界大戦中、ドイツ軍占領下(1940.6~1944.8)のフランスで展開された文学者の抵抗運動およびその文学を総称して「レジスタンス文学」という。より広義には、ドイツ軍占領下の東欧諸国の文学や、日本軍支配下の中国や朝鮮の「抗日文学」も「レジスタンス文学」ということができよう。

 まずドイツ軍占領下におけるフランス文学の全体的状況を俯瞰(ふかん)しておくと、第一に、ドイツ軍に積極的に協力した文学者たち、たとえばドリュ・ラ・ロシェルブラジアックセリーヌ、リュシアン・ルバテLucien Rebatet(1903―72)などがいる。第二に、ビシー政府に加担した文学者たち、アンリ・マシス、ルネ・バンジャマンRené Benjamin(1885―1948)、アベル・ボナールAbel Bonnard(1883―1968)など。第三に、フランス国内でレジスタンス運動に参加した、アラゴンエリュアール、ジャン・ブリュレール(のちにベルコールと名のる)、エルザ・トリオレ、F・モーリヤックポーランなど多くの文学者たち。第四に、海外にあってレジスタンス運動を支援した、ベルナノス、サン・テグジュペリ、ジュール・ロマンなどの文学者たちである。上記のほかに、ドイツの強制収容所での体験をつづった文学者も存在する。

[川上 勉]

レジスタンス文学の役割

レジスタンス文学は、フランスにおけるレジスタンス運動の高まりの段階に対応して、その内容にも変化がみられる。占領初期はドイツと協調的な文学者も少なからず見受けられたり、また出版物の検閲や弾圧も比較的緩やかであったりした。占領下のパリで最高傑作だと評判になったカミュの『異邦人』(1942)や、アラゴンの『断腸詩集』(1941)などは合法的に出版された作品であった。しかし、ドイツ軍による全面占領(1942.11)以降、しだいに反ナチス、反ビシー闘争が激しくなってくると、非合法の地下出版によって、人々に闘いを呼びかけ、勇気を鼓舞し、そして闘いや犠牲者の証言ともなるという役割を強めた。こうして、レジスタンスという国民的な運動と闘いのなかで、文学ないし文筆活動はおのずからその役割の比重を高めていき、文学がもつ社会的な意味もそれまで以上に大きくなっていったのである。

[川上 勉]

新聞・雑誌類

文学者も参加した初期のレジスタンス運動に「人類博物館グループ」Groupe du Musée de l'Hommeの活動があり、すでに1940年秋にはドイツ軍の占領に反対するビラが出され、クロード・アブリーヌClaude Aveline(1901―92)やジャン・カスーJean Cassou(1897―1986)らの編集によって新聞『レジスタンス』が発行される。また、レジスタンスの雑誌『自由思想Pensée libreが、ジャック・ドクールJacques Decour(1910―42)やジョルジュ・ポリツェルGeorges Politzer(1903―42)らの逮捕によって発行不可能になったあと(1941.2)、ピエール・ド・レスキュールPierre de Lescure(1891―1963)、ベルコールらによって「深夜双書」の計画が進められる。一方、ポーランやジャック・ドビュ・ブリデルJacques Debû- Bridel(1902―93)らによって、CNE(全国作家委員会)が結成され、その機関誌『レ・レットル・フランセーズ』Les Lettres françaisesが42年9月から発刊される。スイスではアルベール・ベガンらによって『カイエ・デュ・ローヌ双書』が42年に発刊されている。新聞や雑誌はもっとも重要な宣伝の道具であり、クリスチアン・ピノーChristian Pineau(1904―95)の『リベラシオン』、ピエール・セゲルスPierre Seghers(1906―87)の『ポエジー40』、ルネ・タベルニエRené Tavernier(1915―89)の『コンフリュアンス』、アルジェで発行されたマックス・ポル・フーシェMax-Pol Fouchet(1913―80)の『フォンテーヌ』、ジャン・アンルーシュJean Amrouche(1906―62)の『ラルシュ』などがあった。

[川上 勉]

詩・小説など

詩はそのイメージや叫びの直截(ちょくせつ)性と簡潔性によって、人々の苦しみや希望を端的に表現し、それを万人共通のものにすることができた。したがって、レジスタンス文学のなかで詩の果たした役割はもっとも大きかった。アラゴンは早くも1941年4月には『断腸詩集』を刊行して占領下の悲しみを歌い、続いて『エルザの瞳(ひとみ)』(1942)、『フランスの起床ラッパ』(1945)などを発表する。エリュアールの『詩と真実』(1942)や『ドイツ軍駐屯地で』(1944)、ピエール・エマニュエルの『オルフェの墓』(1941)や『汝(なんじ)の守護者とともに戦う』(1942)、ジャン・カスーの『独房でつづられた33のソネット』(1943)などのほか数多くのレジスタンス詩が登場した。

 占領下の非合法出版であるがゆえに、小説の場合には詩以上に印刷が困難であった。ベルコールの『海の沈黙』(1942)は書き上げてから出版までに半年以上もかかっている。したがって詩に比べて作品の数も少ないし、そのほとんどは短編であった。そのほか代表的な小説作品には、「深夜双書」に収められたトリオレの『アビニョンの恋人たち』(1943)、ベルコールの『星への歩み』(1943)、アブリーヌの『死の時』(1944)、クロード・モルガンClaude Morgan(1898―1980)の『人間のしるし』(1944)などがある。エッセイとしては、モーリヤックの『黒い手帳』(1943)、アラゴンの『精神に対する犯罪』(1942)、ベルナノスの『ロボットに対するフランス』(1942)、サン・テグジュペリの『ある人質への手紙』(1943)などがあげられる。

 戯曲は、アヌイの『アンチゴーヌ』(1942)やサルトルの『蠅(はえ)』(1943)などが主としてパリで上演されたが、占領軍が許可したものをレジスタンス文学のなかに含めることができるかどうか意見の分かれるところであろう。

[川上 勉]

『小場瀬卓三著『抵抗する知性』(1951・三一書房)』『渡辺淳著『神を信じていた者も神を信じていなかった者も』(1951・ナウカ社)』『加藤周一著『抵抗の文学』(『加藤周一著作集 第2巻』所収・1979・平凡社)』『大島博光著『レジスタンスと詩人たち』(1981・白石書店)』『ゲルハルト・ヘラー著、大久保敏彦訳『占領下のパリ文化人――反ナチ検閲官ヘラーの記録』(1983・白水社)』『川上勉著『ヴェルコールへの旅』(1994・昭和堂)』

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改訂新版 世界大百科事典 「レジスタンス文学」の意味・わかりやすい解説

レジスタンス文学 (レジスタンスぶんがく)

1940年6月のドイツ軍のフランス制覇から44年9月のフランス解放までの期間,占領下のフランスで誕生した対独抵抗の文学および文学運動を指す。

 フランスをその勢力下におさめたドイツ軍は,40年秋1000点あまりの書物の出版・発売を禁止するとともに検閲を強化し,多くの文学者は沈黙を余儀なくされた。この間,ロマン,モーロア,グリーン,シュペルビエル,サン・ジョン・ペルス,ベルナノスらは北アメリカ,南アメリカに亡命し,パリの文壇はドリュ・ラ・ロシェル,セリーヌ,ブラジヤックらファシズムを支持する文学者の独壇場と化した。そして1942年国内におけるレジスタンス運動が活発化するに及び,マルロー,シャンソン,シャール,プレボー,サンテグジュペリらは地下に潜って実践活動に身を挺していく。他方,42年4月に用紙統制委員会が発足し出版統制が一段と厳格化されたため,非合法出版物の刊行が盛んとなり,〈希望と拒否の文学〉が広く読まれはじめるのである。

 非合法雑誌を代表するのは〈全国作家委員会〉の機関紙としてドクールJacques Decour(1910-42),ポーランの手で42年9月創刊された《レットル・フランセーズ》であり,その他《ポエジー40》(年とともに41,42…と改称),エリュアールを中心とする《レテルネル・ルビュ》誌などがあったが,アルジェで刊行された《フォンテーヌ》誌,A.ベガンがスイスで出しはじめて50点を数えた〈カイエ・デュ・ローヌ叢書〉の果たした役割も見落としえない。また42年8月ベルコールVercors(1902-91)の《海の沈黙》の刊行により開始された,ベルコール,レスキュールPierre de Lescure(1891-1963),ポーランの〈深夜叢書〉は,アラゴン,F.モーリヤック,トリオレElsa Triolet(1896-1970),カスーJean Cassou(1897-1986),バンダ,ゲーノ,ジッドらの作品を作者を匿名として44冊世に送った。このようにして作家も出版者も一身の安全を犠牲にして活字とした作品は,いずれもドイツの抑圧への抵抗と人間の普遍的価値の擁護をそれぞれの政治的・思想的立場をこえて訴えるものであって,大革命以来のフランス精神の伝統的姿を伝え感動的である。

 代表的作品としては,この時期にみごとな復権をなしとげた詩の領域で,アラゴンの《断腸詩集》《エルザの瞳》《フランスの起床ラッパ》,エリュアールの《ドイツ人と出会って》《詩と真実1942》,カスーの《ひそかに綴られた33のソネ》,ケロールJean Cayrol(1911-2005)の《夜と霧の詩篇》,小説の領域で,《海の沈黙》のほかモルガンClaude Morganの《人間のしるし》,トリオレの《アビニョンの恋人たち》,エッセーの領域で,モーリヤックの《黒い手帖》,ベルナノスの《イギリス人への手紙》,サンテグジュペリの《ある人質への手紙》,カミュの《ドイツ人の友への手紙》,ベイユの《根をもつこと》などがあげられよう。その他いちおう上演が可能だったとはいえ,戯曲としてアヌイの《アンティゴーヌ》,サルトルの《蠅》をそれらに加えてもさしつかえあるまい。
反ファシズム →レジスタンス
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「レジスタンス文学」の意味・わかりやすい解説

レジスタンス文学
レジスタンスぶんがく
littérature de la résistance

抵抗文学ともいい,広く一般に使われているが,元来は第2次世界大戦中ドイツに占領されたフランスで,ドイツ軍および対独協力派への反抗を目的としてつくられた文学をいう。直接戦闘に参加した作家にはサン=テグジュペリ,マルローらがいるが,武器をとるよりもむしろペンで戦う作家たちは,アラゴン,C.モルガンを中心とした秘密出版の機関誌『レットル・フランセーズ』 Les Lettres françaisesに拠った。またベルコールらは「深夜叢書」を発刊し,自身の『海の沈黙』 (1942) ,F.モーリヤックの『黒い手帳』 (44) などを秘密出版した。そのほかこの時期に自由と祖国愛を高揚すべく生れた文学には,アラゴンの詩集『断腸』 (41) ,『エルザの瞳』 (42) ,エリュアールの詩集『詩と真実』 (42) のほか,サルトルの戯曲『蠅』 (43) ,カミュの評論『ドイツ人の友への手紙』 (43~44) などがある。亡命作家のうち,ロマン,モーロアらは「フランスの声」 La Voix de France叢書によってアメリカから,シュペルビエル,ベルナノスらは南アメリカから,それぞれ本国のレジスタンスを支援した。

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百科事典マイペディア 「レジスタンス文学」の意味・わかりやすい解説

レジスタンス文学【レジスタンスぶんがく】

第2次大戦中ドイツ占領下のフランスで書かれた抵抗を主題とする記録,詩,小説など。主として非合法出版を通じて発表された。アラゴンの詩集《フランスの起床ラッパ》,ベルコールの《海の沈黙》,エリュアールの《詩と真実1942》,モーリヤックの《黒い手帳》等。ベルコールらの地下出版〈深夜叢書〉の果たした役割は大きい。→レジスタンス
→関連項目ポーラン

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「レジスタンス文学」の解説

レジスタンス文学(レジスタンスぶんがく)

抵抗の文学。広くは一般にファシズム帝国主義への抵抗を鼓舞する文学を意味するが,第二次世界大戦中のフランスで,ドイツに対するレジスタンス運動の一環として生まれた一連の文学をさし,フランス古典詩の伝統に立ち帰って,自由と祖国愛をうたった抒情詩を中心に,小説,戯曲,評論など各分野に及ぶ。代表的な作品としては,深夜双書を発行したヴェルコールの小説『海の沈黙』,アラゴンの詩『エルザの眼』『フランスの起床ラッパ』,エリュアールの詩『詩と真実』,モーリャックの評論『黒い手帖』など。

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