遠別村(読み)えんべつむら

日本歴史地名大系 「遠別村」の解説

遠別村
えんべつむら

[現在地名]天塩郡遠別町字本町(ほんちよう)・字北浜(きたはま)・字幸和(こうわ)・字久光(きゆうこう)・字中央(ちゆうおう)・字共栄(きようえい)・字東野(ひがしの)・字大成(たいせい)・字正修(せいしゆう)・字啓明(けいめい)・字清川(きよかわ)・字丸松(まるまつ)・字北里(きたさと)・字富士見(ふじみ)・字金浦(かなうら)・字旭(あさひ)・字歌越(うたこし)

明治一一年(一八七八)から昭和二四年(一九四九)まで存続した村。明治二年の国郡画定により天塩国天塩郡に所属。同一一年一〇月遠別村設置(「事業略記」など)、郡区沿革表に遠別村と記される。同一三年天塩郡中川(なかがわ)郡上川郡各村戸長役場(天塩村)、同一八年苫前村外二ヶ村天塩郡中川郡上川郡各村戸長役場、同二九年天塩郡中川郡上川郡各村戸長役場の所轄となる。同三〇年遠別市街地に本通・東中通・東通・西中通・西通各一―三丁目の字を設置。同三六年四月天塩郡天塩外三ヶ村戸長役場を割いて遠別村戸長役場が置かれた(市町村沿革台帳)。


遠別村
とおべつむら

[現在地名]静内郡静内町字東別(とうべつ)

明治初年(同二年八月から同六年の間)から明治四二年(一九〇九)までの村。静内郡の南東部、布辻(ぶし)川の上流西岸に位置し、東は同川をもって三石(みついし)郡姨布(おばふ)村(現三石町)に、南は音江(おとえ)村に接し、北は山岳地である(「状況報文」など)。近世の史料にトイベツ(トエベツ、トーベツ)とみえる地(板本「東蝦夷日誌」)などからなっていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む