日本歴史地名大系 「遠塚村」の解説 遠塚村とおづかむら 石川県:河北郡七塚町遠塚村[現在地名]七塚町遠塚河北郡の北西部、日本海に面し、内灘(うちなだ)砂丘の一部である河北台(かほくだい)砂丘上に位置。北は松浜(まつはま)村、南は北(きた)村、東は宇気(うのけ)村(現宇ノ気町)。慶長六年(一六〇一)一二月一三日付の石川郡・河北郡の一六ヵ村の浜方地子を免除した前田利長判物(加賀藩史料)にみえる太郎兵衛塚(たろべえづか)村が当村にあたる。しかし、正保の絵図では遠塚村と記載され、延宝の絵図では太郎兵衛塚村と記載されたため、元禄一一年(一六九八)にその食違いを加賀藩から尋ねられた。この時の十村らの書上(「加越能御絵図覚書五」加越能文庫)には「私共承伝申趣者先規より太郎兵衛塚村与申候、遠塚村与申ハ承及不申候、此儀所之者共へも相尋候所、遠塚村与申儀ハ先規より承伝不申旨申候」とあり、太郎兵衛塚村が本来の名称であったようである。ところが藩では正保の絵図に合せて遠塚村と改めさせることとし(同覚書五)、元禄一三年七月に遠塚と改めるよう命じた(改作所旧記)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by