日本歴史地名大系 「遣川之村」の解説 遣川之村やりかわのむら 長崎県:下県郡豊玉町遣川之村中世、仁位(にい)郡にみえる郷村。「海東諸国紀」に「也里古浦三十余戸」とあるのが当地に比定される。永正一八年(一五二一)「やりかわ三郎左衛門」の居屋敷・畠地が扶持として日高三郎左衛門尉に下されているが(同年二月三日「宗盛長書下」仁位郷判物写)、同氏はこれより先、同六年に「人のうり口かいくち、ふねのうり口かい口」(人身売買および船の渡航などにかかわる公事)を給分として安堵された日高三郎右衛門尉自身か、彼にかかわる者であろう(同年二月一二日宗貞信書下)。天文一〇年(一五四一)「二位郡東之内(中略)やりかハの三郎左衛門」の居屋敷・畠が日高佐衛門大夫に安堵された(同年五月二八日宗貞泰安堵書下)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報