豊玉町(読み)とよたまちよう

日本歴史地名大系 「豊玉町」の解説

豊玉町
とよたまちよう

面積:七五・二一平方キロ

対馬の中央部に位置する。浅海あそう(浅茅湾)の北岸に臨む内海部と、東の日本海に面した東面ひがしめと、西の朝鮮海峡に面した西面にしめに三分される。北はみね町と山境で、これは上県郡との境でもある。内海部をはじめリアス海岸がよく発達し、深く入り込む多数の入江に恵まれ、浅海一帯では仁位浅海にいあそう貝口かいぐち浦・佐保さほ浦・仁位にい浦・佐志賀さしか浦・嵯峨さが浦、内浅海うちあそう貝鮒かいふな浦・和板わいた浦・糸瀬いとせ浦などがあり、外浅海の西出口は大口おおぐち瀬戸になっている。西面には南にまわり浦・唐洲からす浦・とうの浦、北部につな浦・浦など、東海には南にふか浦・浦などがあるが、これらに伴って岬・瀬・小島も数多い。山嶺では峰町境に竹無たけなし(一九二メートル)黒隈くろくま(二四二・一メートル)舟沢ふなさわ山・合戸ごうと山などが連なるが、島内では最も山の低い部分にあたり、谷も浅く、大きな河川がない。中央部を国道三八二号が通り、東部に主要地方道の上対馬―豊玉線がある。

浅海湾の西部の水崎みんさき浦に縄文時代前期・中期の加藤かとう海底遺跡があり、西面には同中期のヌカシ遺跡、東海岸の曾浦に同終末から弥生時代初頭にわたる住吉平すみよしびら貝塚などがあることから、北九州地域と同様の文化の移行があったことがうかがえる。水崎浦の加志々かじしをはじめ仁位・卯麦うむぎ・貝口・佐志賀などの沿岸で弥生時代中期から後期にかけての遺跡が分布、朝鮮半島から舶載した青銅器や鉄器が発見されたことで注目された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報