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人身売買 じんしんばいばい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

人身売買
じんしんばいばい

人を物と同じように売買すること。刑法は日本国外に移送する目的をもって人を売買する行為を罰している (刑法 226条2項前段) 。たとえ本人や親の承諾があっても本罪は成立する。その他刑法は淫行勧誘罪 (182条) を設けて,人身売買の前段階にあたる行為を禁じている。人身売買の禁止については各種の国際協定が存在するが,日本では刑法のほか,職業安定法 63条,児童福祉法 34条などによりその実効を企図している。

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

人身売買

人身取引ともいう。誘拐や詐欺などの手段で被害者を連れだし、強制労働売春兵士臓器移植などに利用する犯罪。特に発展途上国からその周辺国へと国境を越えるケースが多く、国連は2000年に「国際組織犯罪防止条約人身取引議定書」を採択した。日本も04年に米国から「アジア、中南米東欧などから子どもや女性が労働力や売春の目的で送り込まれている」として「監視対象国」に指定された。翌05年に人身売買罪を制定し、対策に取り組んでいる。

(2011-01-28 朝日新聞 朝刊 2外報)

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デジタル大辞泉の解説

じんしん‐ばいばい【人身売買】

人格を無視して、人間物品同様に売買すること。奴隷売買はその代表例。

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百科事典マイペディアの解説

人身売買【じんしんばいばい】

人間を商品として売買すること。奴隷など社会的被差別者や窮乏婦女子,孤児などが多く犠牲になり強制労働や強制売春などで酷使される。前借金や年季奉公あるいは養子縁組の形による芸・娼妓(しようぎ)契約も人身売買の実質をもつ事例が多い。
→関連項目人質

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世界大百科事典 第2版の解説

じんしんばいばい【人身売買】

人の全人格ないしは自由を売買の対象とすること。どのような具体的内容が人身売買として問題になったかは,時代や地域によって差異があった。古くは子その他を文字どおり売買して奴隷的身分とすることを意味したし,今日では雇用契約において,被用者が主体的地位にあるか,前借などによりはなはだしく自由を拘束された状態にないか,などが人身売買と称せられる問題となっている。また,人身売買の禁止も古来行われてきたが,禁止の内容や理由もさまざまであり,人権尊重の原理にもとづく規制は近代以降のことである。

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大辞林 第三版の解説

じんしんばいばい【人身売買】

人格を認めず、品物のように人間を売り買いすること。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

人身売買
じんしんばいばい

人間を物と同じように売買すること。売られた人間は、買い主に所有され、その利益のために使用されるので、人間としての基本的権利(自由権、幸福追求権など)を奪われ、人間としての尊厳や人格を認められない。このような人身売買は、古代から近代に至るまで、奴隷の売買、前借年季奉公などさまざまな形で、各国において行われたが、現代ではもっとも非人道的行為として禁止されるようになっている。[山手 茂]

世界の人身売買

古代ギリシア・ローマ時代には、家内奴隷が私有化され、贈与、売買、相続の対象とされていた。さらに鉱山の発掘やオリーブ、ブドウの栽培が盛んになり、それらに従事する労働奴隷の需要が増大するにつれて、奴隷の商品化が進んだ。奴隷の供給源は、征服された民族や戦争の捕虜のほかに、負債を返済できない自由民、納税のため家長に売られた家族や、略取・誘拐された婦女子などであった。
 中世には、イスラム商人がアフリカの黒人を奴隷として売るようになり、15世紀後半になると、ポルトガル商人が黒人奴隷をヨーロッパの宮廷に売り込み始めた。欧米の資本主義の原始的蓄積は、黒人奴隷労働を利用することによって強行されたといわれている。アフリカのギニア湾沿岸の一部はかつて奴隷海岸といわれ、アフリカ大陸から奴隷を狩り集めたイギリス、フランス、オランダなどの奴隷業者は巨利を博した。彼らによってアメリカ市場に売られた黒人奴隷は、300年間に1500万人に上ると推計されている。
 インドや中国などアジア諸国でも、古代から奴隷の売買が行われ、最近に至るまで養子の形をとるなどの方法により人身売買が続けられている。2000年に「国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約を補足する人(特に女性及び児童)の取引を防止し、抑止し及び処罰するための議定書」が国連総会で採択され、2003年に発効した。日本では2005年(平成7)に国会で承認されている。しかし依然として人身売買や性的搾取はなくならず、2012年6月に国際労働機関が発表した「強制労働に関する報告書」によると、世界中で約2100万人が労働を強要されている。そのうち性的搾取は全体の22%を、地域別にはアジア・太平洋地域がもっとも多く全体の56%を占めている。[山手 茂]

日本の人身売買

日本でも古代から最近に至るまで、さまざまな形で人身売買が行われてきた。古代の奴隷については、『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』の「生口(せいこう)」や『古事記』『日本書紀』の「奴(ぬ)」の記述によって知ることができる。大化改新の律令(りつりょう)文書に、奴婢(ぬひ)の制度に関する規定があり、当時一人当り稲1000束で奴隷を売買した記録が残っている。この奴婢は、荘園(しょうえん)時代には農奴に転化した。戦乱、飢饉(ききん)、重税に苦しんで逃亡奴隷が続出し、他方では婦女子を略取・誘拐して売り飛ばす人さらいや人買が横行した。また、人身を抵当にして金銭の貸借が行われて、返済できない場合、人質を奴隷化することも生じた。江戸時代になると、幕府は人身売買を禁じたが、年貢上納のための娘の身売りは認め、多くの身売り女性による遊女奉公が広がった。また、前借金に縛られ人身の拘束を受けて労働や家事に従事する年季奉公制度が確立した。
 明治政府は、1870年(明治3)に児童を中国人に売ることを禁止し、1872年に娼妓(しょうぎ)解放令を出すなど、幾度も人身売買に関する禁令を出した。しかし、人身売買的な芸娼妓契約や、養子に仮装した人身売買契約などの形で古い慣行が続けられていた。一方、製糸・紡績業が発達するに伴い、農村の年少女子が、わずかの前借金によって奴隷的状態に置かれ、搾取されるようになった。労働時間は1日十数時間で、牢獄(ろうごく)のような寄宿舎での生活を強制され、逃亡者は残虐なリンチを受けた。過酷な労働・生活条件のため、結核などで病死する女工が続出した。このような状態の女子・年少労働者を保護するため、1911年(明治44)に工場法が制定されたが、その効果は容易にはあがらなかった。昭和になっても、不況期には貧困農村で人身売買が行われた。
 日本において人身売買が全面的に廃止されたのは、第二次世界大戦後、民主化政策が推進され、国民のなかに人権意識が浸透してからである。日本国憲法は、個人の尊重(13条)、奴隷的拘束および苦役からの自由(18条)を保障している。北海道のたこ部屋、九州炭鉱地の納屋制度、前借付きの年季奉公など、伝統的な奴隷的拘束制度は、労働関係法制の整備や労働組合運動の発展によって解体された。山形県飛島の南京(ナンキン)小僧、山口県大島(屋代(やしろ)島)の梶子(かじこ)など、もらい子制度に隠れた人身売買も、児童福祉法(昭和22年法律第164号)違反として取り締まられ消滅した。また2005年(平成17)の刑法改正(平成17年法律第66号)により、人身売買罪が新設された。これにより、買い受け、売買、売り渡し、国外移送など、国境をこえた人身売買も含め、人身売買そのものを取り締まることができるようになった。[山手 茂]

売春と人身売買

しかし、売春に関連する人身売買=奴隷的拘束問題は解決困難であり、さまざまな対策が講じられたにもかかわらず、形態を変えながら今日まで存続している。1946年(昭和21)占領軍は、公娼制度は民主主義に反するとして「日本に於(お)ける公娼廃止に関する覚書」を発したが、日本政府は次官会議によって、私娼取締りを名目として旧遊廓(ゆうかく)と公娼制度を「赤線地帯」に温存する方針を決定した。占領軍は、表面では公娼制度を非難しながら、裏面では占領軍将兵のための売春婦を必要としていた。しかし売春防止法(昭和31年法律第118号)が、1956年5月公布され、1958年4月全面施行されてのち、売春に関係ある人身売買は激減した。だが、2005年(平成17)の人身売買罪新設ののちも、暴力団関連、外国女性関連の人身売買的売春は、後を絶っていない。[山手 茂]
『前田信二郎著『売春と人身売買の構造』(1958・同文書院) ▽牧英正著『近世日本の人身売買の系譜』(1970・創文社) ▽牧英正著『人身売買』(岩波新書)』

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世界大百科事典内の人身売買の言及

【中世社会】より

…こうしたとき,平民はみずからの自由の放棄を明らかにした曳文(引文),いましめ状を書いたのである。公家,武家はともに人身売買を禁じていたが,寛喜の飢饉のさい,幕府が一時的にせよそれを認めたことから,餓死の危険,飢饉を理由に,やむをえぬこととして人身の売買を公然と行うのがふつうになり,こうした広範な下人の存在が中世社会のあり方の一面を規定していたことはまちがいない。 もとより下人の境遇は,《山椒大夫》の安寿・厨子王の運命に象徴されるように過酷なものがあったが,一方には捨子や身寄りのないものを養い保護する慣習もあり,下人の実態は,永続的ではないとしても家族をもち,主から給与された田畠を耕作するなど,平民とさほど異ならないところもあったのである。…

【人買】より

…人身売買を業とする者,人商人(ひとあきびと)。朝廷は,1178年(治承2)以降,人を勾引して売る者が京畿に充満すると述べ,その拘禁をくりかえし諸国に命じたが,鎌倉幕府も97年(建久8)以降朝廷法をうけて人売買の禁止をくりかえした。…

【人質】より

… 中世社会において,この種の人質より一般に行われたものに,債権の担保としての人質がある。この人身の質入れ証文は,人身売買が盛んであった東国・九州地方などにとくに多く残っており,この人質は,この地方の戦国大名の徳政令の対象にもなっている。質入れの対象としては,債務者の子女または奴婢が多く,質の種類としては,占有質である入質(いれじち)と抵当である見質(みじち)があったが,いずれも質流れとなると人質は,債務奴隷として債権者の下人となった。…

【奉公人】より

…自給的穀作農業を営む主家の農業経営は,譜代下人の労働と,自立過程にある小農(被官,家持下人,隠居など)の提供する賦役(ふえき)とによって支えられていた。譜代下人の成因には,中世以来の主家への隷属を継承したものと,人身売買の結果として発生したものとがある。近世の法制では終身の身売りを禁止していたが,農業生産力の水準の低さに規定されて,土地が売買・質入れの物件たりえないほどの不安定な農業を基盤にして,17世紀前半期には事実上の人身売買がひろく農村で行われていた。…

※「人身売買」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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