精選版 日本国語大辞典 「人身売買」の意味・読み・例文・類語
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人間を物と同じように売買すること。売られた人間は、買い主に所有され、その利益のために使用されるので、人間としての基本的権利(自由権、幸福追求権など)を奪われ、人間としての尊厳や人格を認められない。このような人身売買は、古代から近代に至るまで、奴隷の売買、前借年季奉公などさまざまな形で、各国において行われたが、現代ではもっとも非人道的行為として禁止されるようになっている。
[山手 茂]
古代ギリシア・ローマ時代には、家内奴隷が私有化され、贈与、売買、相続の対象とされていた。さらに鉱山の発掘やオリーブ、ブドウの栽培が盛んになり、それらに従事する労働奴隷の需要が増大するにつれて、奴隷の商品化が進んだ。奴隷の供給源は、征服された民族や戦争の捕虜のほかに、負債を返済できない自由民、納税のため家長に売られた家族や、略取・誘拐された婦女子などであった。
中世には、イスラム商人がアフリカの黒人を奴隷として売るようになり、15世紀後半になると、ポルトガル商人が黒人奴隷をヨーロッパの宮廷に売り込み始めた。欧米の資本主義の原始的蓄積は、黒人奴隷労働を利用することによって強行されたといわれている。アフリカのギニア湾沿岸の一部はかつて奴隷海岸といわれ、アフリカ大陸から奴隷を狩り集めたイギリス、フランス、オランダなどの奴隷業者は巨利を博した。彼らによってアメリカ市場に売られた黒人奴隷は、300年間に1500万人に上ると推計されている。
インドや中国などアジア諸国でも、古代から奴隷の売買が行われ、最近に至るまで養子の形をとるなどの方法により人身売買が続けられている。2000年に「国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約を補足する人(特に女性及び児童)の取引を防止し、抑止し及び処罰するための議定書」(略称「国際組織犯罪防止条約人身取引議定書」)が国連総会で採択され、2003年に発効した。日本では2005年(平成17)に国会で承認、2017年に公布および告示されている。しかし依然として人身売買や性的搾取はなくならず、2012年6月に国際労働機関が発表した「強制労働に関する報告書」によると、世界中で約2100万人が労働を強要されている。そのうち性的搾取は全体の22%を、地域別にはアジア・太平洋地域がもっとも多く全体の56%を占めている。
[山手 茂]
日本でも古代から最近に至るまで、さまざまな形で人身売買が行われてきた。古代の奴隷については、『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』の「生口(せいこう)」や『古事記』『日本書紀』の「奴(ぬ)」の記述によって知ることができる。大化改新の律令(りつりょう)文書に、奴婢(ぬひ)の制度に関する規定があり、当時一人当り稲1000束で奴隷を売買した記録が残っている。この奴婢は、荘園(しょうえん)時代には農奴に転化した。戦乱、飢饉(ききん)、重税に苦しんで逃亡奴隷が続出し、他方では婦女子を略取・誘拐して売り飛ばす人さらいや人買が横行した。また、人身を抵当にして金銭の貸借が行われて、返済できない場合、人質を奴隷化することも生じた。江戸時代になると、幕府は人身売買を禁じたが、年貢上納のための娘の身売りは認め、多くの身売り女性による遊女奉公が広がった。また、前借金に縛られ人身の拘束を受けて労働や家事に従事する年季奉公制度が確立した。
明治政府は、1870年(明治3)に児童を中国人に売ることを禁止し、1872年に娼妓(しょうぎ)解放令を出すなど、幾度も人身売買に関する禁令を出した。しかし、人身売買的な芸娼妓契約や、養子に仮装した人身売買契約などの形で古い慣行が続けられていた。一方、製糸・紡績業が発達するに伴い、農村の年少女子が、わずかの前借金によって奴隷的状態に置かれ、搾取されるようになった。労働時間は1日十数時間で、牢獄(ろうごく)のような寄宿舎での生活を強制され、逃亡者は残虐なリンチを受けた。過酷な労働・生活条件のため、結核などで病死する女工が続出した。このような状態の女子・年少労働者を保護するため、1911年(明治44)に工場法が制定されたが、その効果は容易にはあがらなかった。昭和になっても、不況期には貧困農村で人身売買が行われた。
日本において人身売買が全面的に廃止されたのは、第二次世界大戦後、民主化政策が推進され、国民のなかに人権意識が浸透してからである。日本国憲法は、個人の尊重(13条)、奴隷的拘束および苦役からの自由(18条)を保障している。北海道のたこ部屋、九州炭鉱地の納屋制度、前借付きの年季奉公など、伝統的な奴隷的拘束制度は、労働関係法制の整備や労働組合運動の発展によって解体された。山形県飛島の南京(ナンキン)小僧、山口県大島(屋代(やしろ)島)の梶子(かじこ)など、もらい子制度に隠れた人身売買も、児童福祉法(昭和22年法律第164号)違反として取り締まられ消滅した。また2005年(平成17)の刑法改正(平成17年法律第66号)により、人身売買罪が新設された。これにより、買い受け、売買、売り渡し、国外移送など、国境をこえた人身売買も含め、人身売買そのものを取り締まることができるようになった。
[山手 茂]
しかし、売春に関連する人身売買=奴隷的拘束問題は解決困難であり、さまざまな対策が講じられたにもかかわらず、形態を変えながら今日まで存続している。1946年(昭和21)占領軍は、公娼制度は民主主義に反するとして「日本に於(お)ける公娼廃止に関する覚書」を発したが、日本政府は次官会議によって、私娼取締りを名目として旧遊廓(ゆうかく)と公娼制度を「赤線地帯」に温存する方針を決定した。占領軍は、表面では公娼制度を非難しながら、裏面では占領軍将兵のための売春婦を必要としていた。しかし売春防止法(昭和31年法律第118号)が、1956年5月公布され、1958年4月全面施行されてのち、売春に関係ある人身売買は激減した。だが、2005年(平成17)の人身売買罪新設ののちも、暴力団関連、外国女性関連の人身売買的売春は、後を絶っていない。
[山手 茂]
『前田信二郎著『売春と人身売買の構造』(1958・同文書院)』▽『牧英正著『近世日本の人身売買の系譜』(1970・創文社)』▽『牧英正著『人身売買』(岩波新書)』
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出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
人間を売買する行為。それを業とするのが人買(ひとかい)。下人(げにん)身分を除くと,一般的には律令法・武家法ともに建前として非合法である。鎌倉時代の寛喜の飢饉では一時的に黙認されたが,あくまで非常時の例外的措置である。しかし,実際には平安末期から勾引(かどわかし)による人身売買が朝廷や幕府の禁止令にもかかわらず横行していた。この背景には「さんせう太夫」にみられるように,労働力供給に対する需要の存在があった。近世には労働力市場の成立と幕府の永代売買禁止によって,中期以降に年季奉公の名のもとで人身売買が行われた。この契約には本銭返奉公契約・質物契約・居消(いげし)質奉公契約などがあった。居消質奉公契約の典型が芸者・遊女・飯盛女といった年切奉公で,身売と称された。近代になると,マリア・ルス号事件を契機に日本の公娼制度が問題となり,芸娼妓解放令が布告されたが実効がともなわなかった。人身売買の消滅は,第2次大戦後の日本国憲法施行による基本的人権への意識の高まりと児童福祉法・売春防止法などの立法をまたねばならなかった。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
…こうしたとき,平民はみずからの自由の放棄を明らかにした曳文(引文),いましめ状を書いたのである。公家,武家はともに人身売買を禁じていたが,寛喜の飢饉のさい,幕府が一時的にせよそれを認めたことから,餓死の危険,飢饉を理由に,やむをえぬこととして人身の売買を公然と行うのがふつうになり,こうした広範な下人の存在が中世社会のあり方の一面を規定していたことはまちがいない。 もとより下人の境遇は,《山椒大夫》の安寿・厨子王の運命に象徴されるように過酷なものがあったが,一方には捨子や身寄りのないものを養い保護する慣習もあり,下人の実態は,永続的ではないとしても家族をもち,主から給与された田畠を耕作するなど,平民とさほど異ならないところもあったのである。…
…人身売買を業とする者,人商人(ひとあきびと)。朝廷は,1178年(治承2)以降,人を勾引して売る者が京畿に充満すると述べ,その拘禁をくりかえし諸国に命じたが,鎌倉幕府も97年(建久8)以降朝廷法をうけて人売買の禁止をくりかえした。…
… 中世社会において,この種の人質より一般に行われたものに,債権の担保としての人質がある。この人身の質入れ証文は,人身売買が盛んであった東国・九州地方などにとくに多く残っており,この人質は,この地方の戦国大名の徳政令の対象にもなっている。質入れの対象としては,債務者の子女または奴婢が多く,質の種類としては,占有質である入質(いれじち)と抵当である見質(みじち)があったが,いずれも質流れとなると人質は,債務奴隷として債権者の下人となった。…
…自給的穀作農業を営む主家の農業経営は,譜代下人の労働と,自立過程にある小農(被官,家持下人,隠居など)の提供する賦役(ふえき)とによって支えられていた。譜代下人の成因には,中世以来の主家への隷属を継承したものと,人身売買の結果として発生したものとがある。近世の法制では終身の身売りを禁止していたが,農業生産力の水準の低さに規定されて,土地が売買・質入れの物件たりえないほどの不安定な農業を基盤にして,17世紀前半期には事実上の人身売買がひろく農村で行われていた。…
※「人身売買」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
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