遼陽の大会戦(読み)りょうようのだいかいせん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「遼陽の大会戦」の意味・わかりやすい解説

遼陽の大会戦
りょうようのだいかいせん

日露戦争における最初の本格的会戦。日本軍が辛勝した。遼陽は遼東半島および朝鮮北西部をつなぐ政戦両略の要地で,どちらの軍がここを制するかが,その後の南満州における戦局を決定するといわれていた。ロシアの満州軍総司令官 A.クロパトキン大将は,兵力 22万 4000人を率いて,遼陽防衛の陣を張った。日本軍は,満州軍総司令官大山巌元帥,同総参謀長児玉源太郎大将のもとに,第1軍,第2軍,第4軍の兵力 13万 4000人をもって,1904年8月 30日から総攻撃に移り,2万 3500人の死傷者を出したが辛勝,ロシア軍の死傷者も1万 7900人といわれた。日本軍は疲労と弾薬不足のため,効果的な追撃戦ができなかった。

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