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大山巌 おおやま いわお

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美術人名辞典の解説

大山巌

陸軍軍人・元帥・公爵。鹿児島県生。名は岩次郎・弥介、号は赫山。造士館・演武館に学び戊辰戦争に従軍。西南戦争日清戦争日露戦争に各級司令官として活躍。この間、陸軍大臣参謀総長枢密顧問官・議定官・内大臣等を歴任。大正5年(1916)歿、75才。従一位大勲位を与えられる。

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デジタル大辞泉の解説

おおやま‐いわお〔おほやまいはほ〕【大山巌】

[1842~1916]元帥・陸軍大将。鹿児島の生まれ。西郷隆盛の従弟。陸相・参謀総長を務め、日露戦争では満州軍総司令官

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百科事典マイペディアの解説

大山巌【おおやまいわお】

明治の陸軍軍人,元老西郷隆盛のいとこ。戊辰戦争では薩摩(さつま)鹿児島藩兵の砲隊長。1880年陸軍卿となって以後は陸軍内部の薩閥の首領の地位を占め,長州の山県有朋とともに陸軍を2分する。
→関連項目大山捨松川上操六元帥府日露戦争不如帰

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

大山巌 おおやま-いわお

1842-1916 明治時代の軍人。
天保(てんぽう)13年10月10日生まれ。西郷隆盛の従弟。戊辰戦争に従軍し,維新後欧州に派遣され砲術を研究。日本陸軍の創設にあたり,陸軍卿,明治18年初代陸相。大正3年内大臣。西南戦争では旅団司令官として西郷軍とたたかう。日清戦争では第二軍司令官,日露戦争では満州軍総司令官をつとめた。陸軍大将,元帥。大正5年12月10日死去。75歳。薩摩(さつま)(鹿児島県)出身。通称は岩次郎。号は赫山。

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朝日日本歴史人物事典の解説

大山巌

没年:大正5.12.10(1916)
生年:天保13.10.10(1842.11.12)
明治期に活躍した陸軍軍人。鹿児島城下の加治屋町に薩摩藩士彦八と競の次男として誕生,西郷家は父の実家であり,西郷隆盛,従道は従兄弟。妻は吉井友実の長女沢子,後妻は薩摩軍が倒した会津藩士族出身の捨松で,ふたりの結婚は話題になった。捨松の兄弟には陸軍少将山川浩,東京帝大総長山川健次郎がいる。西郷隆盛に弟同様に可愛がられ,その強い庇護もあって昇進が早かった。薩英戦争直後,砲術研究のため黒田清隆と共に江戸の江川太郎左衛門の塾に留学,戊辰戦争期には西郷の幕下にあって活躍,ことに砲術面で優れた成績をあげた。明治2(1869)年渡欧,普仏戦争で勝利したプロシア軍に従ってパリ入城。4年再び渡欧,パリ,スイスに住んでフランス語,砲術を学ぶ。帰国直後33歳で陸軍少将,陸軍少輔兼第1局長となったのは薩長天下の故だが,西郷,山県有朋に特に目をかけられたことが大きかった。西南戦争では新政府に忠節を尽くして田原坂,城山攻防戦での勝利に貢献,山県に次ぐ陸軍での地位を確定的なものとした。13年陸軍卿となり,以後は山県の跡を追う形で参謀本部長,24年陸軍大将と進んだ。陸軍卿時代に陸軍省,参謀本部,監軍本部の鼎立体制を樹立し,また陸軍大学校開校,東京湾砲台建設を実現した。17年3度目の外遊,独仏に学ぶところ多く,帰国後陸軍大臣に就任すると,兵制をフランス式からドイツ式に転換を図る一方,鎮守府と要塞から成るフランス式海岸防備体制を採用した。砲術家として大山は,西欧の各種大砲,装備の購入採用に努めた。日清戦争(1894~95)では山県の第1軍司令官に対する第2軍司令官,日露戦争(1904~05)では参謀総長に対する総司令官を務め,この間31年,山県と共に元帥に列し,40年には山県の侯爵よりも高い公爵の位を与えられ,宮中方面で大山に対する評価が極めて高かったことがうかがわれる。<参考文献>尾野実信編『元帥公爵大山巌』

(田中宏巳)

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世界大百科事典 第2版の解説

おおやまいわお【大山巌】

1842‐1916(天保13‐大正5)
明治期の陸軍軍人で元老。日露戦争時の陸軍最高指揮官。薩摩藩士大山彦八の子で西郷隆盛の従弟にあたり,倒幕運動に参加し,寺田屋事件では危うく難を逃れた。戊辰戦争に参加,1870年(明治3)に渡欧して普仏戦争を視察し,帰国後陸軍大佐ついで少将に任じられ,征韓論が敗れて下野した西郷ら薩摩藩出身に代わって,薩閥の首領としての地位を占めた。71‐74年フランス留学。西南戦争に旅団司令長官として出征し,80年に陸軍卿,84年陸軍の俊秀をひきいて渡欧し,各国の兵制を視察し,帰国後陸軍大臣として軍制改革を行い,山県有朋につぐ明治陸軍の実力者となった。

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大辞林 第三版の解説

おおやまいわお【大山巌】

1842~1916) 陸軍軍人。薩摩藩士。西郷隆盛の従弟。陸相・参謀総長を務め、日露戦争では満州軍総司令官。元帥。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

大山巌
おおやまいわお

[生]天保13(1842).10.10. 鹿児島
[没]1916.12.10.
陸軍軍人。日本最初の元帥。長州の山県有朋とともに陸軍を薩長閥に2分し,明治陸軍育成の双璧といわれた。幼名,岩次郎。のちに弥介,巌と改める。西郷隆盛の従弟にあたり,父は薩摩藩士大山彦八。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

大山巌
おおやまいわお
(1842―1916)

明治時代の軍人。薩摩(さつま)藩出身で西郷隆盛(さいごうたかもり)の従弟(いとこ)。天保(てんぽう)13年10月10日生まれ。幼名は弥助(やすけ)。1862年(文久2)大坂に出て倒幕運動に参加。薩英戦争でイギリス艦の大砲の威力を認識し、戦後、江戸の江川塾で砲術を学ぶ。戊辰戦争(ぼしんせんそう)に参加し、新陸軍下では、1870年(明治3)に欧州に派遣される。また、翌1871年11月から1874年10月までフランスに留学。西南戦争には別働第一旅団司令長官として出征。陸軍軍制のフランス式からドイツ式への移行期の1885年、初代陸軍大臣となる。1891年陸軍大将、枢密顧問官。日清戦争には第二軍司令官として出征。1898年元帥。日露戦争には満州軍総司令官となる。1907年(明治40)公爵。長州藩出身者が陸軍首脳部を占めていたなかで、陸軍の最重要官職に長期間就任できた理由として、茫洋(ぼうよう)とした人柄や藩閥的偏狭性の希薄さが指摘されている。[遠藤芳信]

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世界大百科事典内の大山巌の言及

【君が代】より

…近世に入り,地歌,長唄などにもとり入れられ,祝賀の歌詞として用いられた。1869年(明治2)ころ,横浜にいたイギリス軍楽隊長J.W.フェントンが国歌の必要を説き,薩摩藩砲兵隊長大山弥助(のちの元帥陸軍大将大山巌)が薩摩琵琶歌《蓬萊山(ほうらいさん)》に入っていた《君が代》を歌詞として選定(選者については異説あり),フェントンがこれに作曲。76年,この曲は日本人には不適であるとの判断から,海軍軍楽隊長中村祐庸は〈天皇陛下ヲ祝スル楽譜改訂ノ儀上申〉を提出,西南戦争後,海軍省は新曲作成を宮内省式部寮雅楽課に委嘱,80年同課では壱越(いちこつ)調律旋により作曲(形式上は〈林広守撰譜〉と公表),海軍省傭教師F.エッケルトが和声を付し,同年11月3日,天長節宮中御宴で伶人らにより初演。…

【日露戦争】より

…陸軍部隊は韓国領内を北上し,5月鴨緑江を渡った最初の戦闘でロシア軍を敗退させ,また南山の戦でも激戦の末に優位を占めた。6月に満州軍総司令部が編成され,総司令官に大山巌,総参謀長に児玉源太郎を任命し,その下に第1軍から第4軍が統轄されることになった。8月末から9月初めの遼陽の戦は,日露両軍が総力を結集した戦闘となり,双方ともに2万名以上の損害を出すという激戦となり,ここでもロシア軍は後退したが,日本軍の被った打撃も深刻なものがあった。…

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