改訂新版 世界大百科事典 「那珂通高」の意味・わかりやすい解説 那珂通高 (なかみちたか)生没年:1827-79(文政10-明治12) 幕末・明治初期の儒者。字は蘇陰,通称は五郎,号は梧楼。初め江帾(えばた)氏と称した。盛岡の人。藩医の家に生まれたが,江戸に出て儒学を学んだ。のちある事情から藩を離れ,諸方に潜伏し,その間に吉田松陰などと交わって尊王思想を抱くようになった。1859年(安政6)藩にもどって儒官となり,明治維新後は大蔵省,文部省に出仕した。博学をもって聞こえ,儒学のほか国史,仏典などに通じ,和歌をよくした。通世は養子。執筆者:日野 竜夫 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「那珂通高」の解説 那珂通高 なか-みちたか ⇒那珂梧楼(なか-ごろう) 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by