那留村(読み)なるむら

日本歴史地名大系 「那留村」の解説

那留村
なるむら

[現在地名]白鳥町那留

大島おおしま村の東、長良川支流和田わだ川の源流部の那留ヶ野とよぶ広い台地に立地。成村とも書く。村名は音響を発する石を産出し鳴ヶ野と称したことによるとする(新撰美濃志)。鳴石の産地として知られ、一時石炭を産出した。柳田国男は「美濃越前往復」で、山間の平野を意味する普通名詞ナル」に由来するとしている。慶長郷帳では「うしミつ(牛道)・中西共」(村高一千一九石余)の内に含まれると考えられる。牛道うしみち(郷)は牛道川流域一帯の村々をさした。正保郷帳に成村とみえ、田方一六〇石余・畑方三九石余。寛永九年(一六三二)の成村検地帳(那留区有文書)によれば、田三町六反余・畑三町一反余、家数四二。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む