那羅郷(読み)ならごう

日本歴史地名大系 「那羅郷」の解説

那羅郷
ならごう

「和名抄」高山寺本は「奈良」と訓ずる。

「日本書紀」欽明天皇二六年五月条に「高麗人頭霧耶陸等、筑紫に投化て、山背国に置り。今の畝原・奈羅・山村の高麗人の先祖なり」とみえるのが地名の初見。「三代実録」元慶六年(八八二)一二月二一日条には「勅、(中略)久世郡栗前野、美豆野、奈良野、(中略)天長年中既禁従禽、今重制断、山川之利、藪沢之生、与民共之、莫妨農業」とみえ、「延喜式」(内膳司)に「川船一艘、長三丈、在与等津、右漕奈良、奈癸等園供御雑菜」とあり、続けて記す「園地卅九町五段二百歩」のうちに「奈良園六町八段三百廿歩」が含まれている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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