郡堰(読み)こおりぜき

日本歴史地名大系 「郡堰」の解説

郡堰
こおりぜき

桑折堰とも書かれ、重染寺ちようぜんじ堰とも称された。近世に開削され、江刺平野の中央を東流し片岡かたおか餅田もちだ田谷たや高寺たかでら二子町ふたごまち倉沢くらさわの六ヵ村などの灌漑用水として利用された用水路。開削年代は天正一九年(一五九一)、あるいは文禄三年(一五九四)ともされるが、岩谷堂いわやどう城に封ぜられた伊達氏家臣の桑折摂津守政長(一説には政長の嗣子景頼とも考えられている)によって開削されたと伝える(江刺市史)。当時岩谷堂地域一帯の田畑は、通常でも排水が悪く一時の雨でも滞水する耕作不適な土地であったため、周辺の有力者を指導して、片岡村重染寺下の人首ひとかべ川に堰塞を設け、ここから揚水してのちの片岡村岩谷堂町の八日市ようかいち町・一日市ひといち町・なか町・川原かわら町などの町場に水路を通し、さらに同村から餅田・田谷・二子町の三ヵ村へ通水させたのち人首川に落した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む