20世紀日本人名事典 「都築甚之助」の解説 都築 甚之助ツヅキ ジンノスケ 明治〜昭和期の細菌学者 生年明治2年11月19日(1869年) 没年昭和8(1933)年3月12日 出身地愛知県 学歴〔年〕第一高等中学校医学部(現・千葉大学医学部)卒 経歴陸軍軍医としてドイツに留学、明治41年臨時脚気病調査会委員となる。脚気が栄養欠乏で起こり、米ぬかにより予防・治療できることを動物実験で確認、海軍軍医・高木兼寛の提唱した栄養原因説を支持した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「都築甚之助」の解説 都築甚之助 つづき-じんのすけ 1869-1933 明治-昭和時代前期の細菌学者。明治2年11月19日生まれ。陸軍軍医としてドイツに留学し,明治41年臨時脚気病調査会委員となる。脚気が栄養欠乏でおこり,米ぬかにより予防・治療できることを動物実験で確認,高木兼寛(かねひろ)の栄養原因説を支持した。昭和8年3月12日死去。65歳。愛知県出身。第一高等中学校医学部(現千葉大医学部)卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by