酒井宗太郎(読み)サカイ ムネタロウ

20世紀日本人名事典 「酒井宗太郎」の解説

酒井 宗太郎
サカイ ムネタロウ

大正・昭和期の実業家 丸喜綿布社長;八幡浜市長。



生年
明治22(1889)年2月3日

没年
昭和10(1935)年11月25日

出生地
愛媛県西宇和郡神山村(現・八幡浜市)

学歴〔年〕
八幡浜商卒

経歴
家業織物業従事。大正3年に動力織機を導入するなど、織物の近代化をはかって大正初期の不況を乗り切り、第一次大戦後の景況で順調に業績を伸ばした。6年より共同染工所取締役を務めたほか、西宇和郡織物同業組合長・八幡浜織物同業組合長などを歴任し、織物業の振興尽力。昭和7年には家業を会社組織とし、丸喜綿布(のちの酒六)を設立、その初代社長となった。その間、昭和3年に神山町長に選ばれるなど地方自治の場でも活躍し、10年八幡浜市の誕生に伴い、初代市長に就任。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「酒井宗太郎」の解説

酒井宗太郎 さかい-むねたろう

1889-1935 大正-昭和時代前期の実業家。
明治22年2月3日生まれ。家業の織物業をつぐ。愛媛県西宇和郡織物同業組合長,八幡浜織物同業組合長などを歴任し,昭和7年丸喜綿布(現酒六)を設立して社長。10年初代八幡浜市長。昭和10年11月25日死去。47歳。愛媛県出身。八幡浜商業卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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