重友保(読み)しげともほ

日本歴史地名大系 「重友保」の解説

重友保
しげともほ

現寺井に比定され、重友村とも記される。能美庄のうちに所在。嘉応三年(一一七一)二月日の中原頼貞譲状案(石清水文書、以下同文書は省略)に「牛島堺板津庄示外重友村」とあり、開発領主で国衙在庁と思われる中原頼貞が、荒廃した重友村を近辺に屋敷を構える在庁の介次郎(板津成景か)に譲渡している。建仁元年(一二〇一)七月二〇日、能美庄内の重友保が地頭沙弥某の連署を得て介某(板津成景)から次男江沼三郎(長野景高)に譲られており、東は秋恒あきつね、西は郡家長野ぐんけながの保、南は得橋とくはし郷、北は郡家東吉光ぐんけひがしよしみつ保に囲まれていた(介某譲状案)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android