重茂村(読み)おもえむら

日本歴史地名大系 「重茂村」の解説

重茂村
おもえむら

[現在地名]宮古市重茂

重茂半島の大部分を占める。東・西・北の三方を海で囲まれ、半島中央の音部(おとべ)村によって先端部と東南部の二つに分断される。字館(たて)に重茂氏の居館と伝える重茂館跡がある。元亨四年(一三二四)一一月二三日の関東下知状案(宮古田鎖文書)に閉伊三郎左衛門尉光員の遺領として閉崎(へのさき)(重茂半島)の名がみえ、また建武元年(一三三四)と推定される閉伊親光言上状(盛岡南部文書)によれば、閉崎が閉伊親光に安堵されており、明応(一四九二―一五〇一)の頃には閉伊氏の臣近能氏の出で重茂氏の祖といわれる民部少輔広嗣の所領となった(「重茂氏系図」重茂文書)。「参考諸家系図」の重茂氏の譜によれば、重茂与十郎が盛岡藩初代藩主南部信直から当地に八〇石を与えられている。元和四年(一六一八)には八戸廻船の船子であった当村の五郎三郎が扶持米を受けている(同年五月二六日「南部利直扶持渡状」盛岡浜田文書)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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