日本歴史地名大系 「野々俣村」の解説 野々俣村ののまたむら 岐阜県:大野郡荘川村野々俣村[現在地名]荘川村野々俣町屋(まちや)村から白川(しらかわ)街道の峠を越えた西にあり、御手洗(みたらい)川と野々俣川の合流地点に開けた村。美濃国郡上(ぐじよう)郡から飛騨国に入る道は当村で二つに分れ、一本は高山街道に通じ、一本は白川街道で越中に向かっていたので、野々俣村とよぶようになったという。枝村として滝(たき)ヶ野(の)・新町(あらまち)がある(斐太後風土記)。金森父子の飛騨侵攻の際にも、「郡上を経て、野々俣口より」入ろうとしている(飛騨国治乱記)。元禄飛騨国検地反歩帳に村名がみえ、高五石余、田一町九反余・畑二町二反余。「飛騨国中案内」によれば免は三割八分三厘、家数一九、うち百姓一六・門屋二・家抱一。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by